とりかへばや物語 

・・・古色蒼然とした現代語訳・・・




桜井日奈子


目次


一 春の巻

第一章
 女のような兄と男のような妹と

第二章 中納言誕生

第三章  二人の男  二人の男 院の望み 姫君の出仕 宰相中将の思い 中の院の行幸 麗景殿の女 ふたたび二人の男

第四章 春の世の過失 兄妹の仲 父君の感嘆 物思う宰相中将 春の夜のかいま見 心尽くしの一夜 一夜明けて 宰相ノ中将の煩悶 中納言の参内 宰相ノ中将を見舞う 

第五章 中納言の絶望  秘密の逢瀬 四の君妊娠 中納言の嘆き こころやましき二人 物思う中納言 見えぬ山路

第六章 吉野山の宮廷へ 
吉野山の宮の話 さらに吉野山の宮の話 中納言の関心 つてを得て 中納言の訪問 宮の予言 感動の日々

第七章 月夜の恋 宮の心づかい 松風の歌 親しき語らい 美しい二人 別れの松風 

第八章 ものうき帰京  父のもとへ 右大臣家の人々 背を向けあって

二 夏の巻

第一章 女君出産 女君出産 
七日の夜 しるしの扇

第二章 真夏の恋 物忌の夜 宰相ノ中将の悩み 夏の日の戯れ ものぐるおしき夜 夢心地の朝 後朝(キヌギヌ)の文 心々 帝の御前 目離れぬ契り

第三章 中納言妊娠 身を去らぬ影 六条わたりの家 右大臣家の嘆き 中納言妊娠 喜ぶ人悲しむ人 それぞれの思い 

第四章 過ぎゆく日々 大晦日 あらたまの春 花の宴 右大将の宣旨 女君の歌 麗景殿の女 

三 秋の巻

第一章 右大将失踪 所狭き身 吉野の人々との別れ 四の君への言葉 親子の仲 尚侍との別れ 宇治への微行 右大将の変身 人々の嘆き 右大臣家の嘆き 四の君勘当 

第二章 その後の人々 その後の右大将 四の君と権中納言 聞きにくき噂 元右大将と権中納言 

第三章 尚侍(ナイシノカミ)の活躍 左大臣の失望 尚侍の決意 母との語らい 尚侍の変身 東宮との別れ 

第四章 右大将を求めて 吉野山へ 宇治の家 はかなきめぐりあい 心安き権中納言 吉野到着 吉野の宮の予言 宇治の面影 

第五章 秋の夜の対面 右大将の出産 母として妻として 権中納言の愛 吉野山への文 吉野山の尚侍 文の往来 秋の夜の対面 尚侍の知恵 

第六章 新しき生活へ 左大臣の夢 若君と我が身と 権中納言への愛 若君との別れ 月夜の出で立ち はらからの契り  

第七章 とまどう人々 失意の権中納言 形見の若君 四の君の出産 吉野から京へ 父母の喜び 

第八章 新右大将の出現 新右大将の参内 東宮の御前で 帰宅 右大臣家の人々 新右大将と四の君 四の君の不審 権中納言の上京 宇治川の思い出 

四 冬の巻

第一章 女東宮悲話 新尚侍の出仕 見馴れしおもかげ 新尚侍の弁明 女東宮の不審 女東宮と新右大将 冬の朝の別れ その後の忍び逢い 


第二章 帝と尚侍 帝のかいま見 ありつるおもかげ 十二月の恋 東宮の出産 帝の物思い 東宮退出 その後の権中納言  右大将の殿造り 春鶯囀 この世の契り 後の逢瀬 右大将を召す 尚侍への文 帝の願い 尚侍を召す 

第三章 権中納言のその後 吉野の姫君上京 二条邸の威容 四の君と尚侍の妊娠 権中納言の物思い 左衛門への文 左衛門来訪 権中納言の心まどい 

第四章 男女の心さまざま 祭など過ぎて 有明の月影に 五月雨の晴れ間 琴の人琵琶の人 物思う権中納言 六月の夕涼み 昔の橋姫 ありし月影の人 男同士の会話 慰めを得て

第五章 幸福な結末 尚侍の里居 再び四の君と尚侍の出産 人々の昇進 女の身の上 宇治の橋姫が気になる権中納言 年月過ぎて
ひそかな再開 心広き帝 幼き人の知恵 幸福な結末 (完)


解説

はじめに

男性・女性という性別はあるが、男性でも全てが男性的ではなく、多かれ少なかれ女性的な部分もあるものだ。でなければ、女性の心を理解することが出来ず、男臭いだけの人になってしまう。女性の心が理解できるから、女性にも優しく振る舞うことが出来る。女性も男性の心が理解できるから、男性に寛大になることが出来る。このように、男性と女性がコミュニケーション出来るのは、相手の心が分かるからであり、それはとりもなおさず、男性の中にも女性の心が一部含まれている。女性の場合も同様である。

世の中には男性であるにも係わらず、耳にピアスをしてみたり、乙女チックなものに非常に憧れたりする。また、女性でも車の運転やスポーツに強い関心を持つ人もいる。戦後は男女平等の教育がなされ、男女の関心も多様なものに広がって来た。

特に日本女性は世界一解放された女性といわれている。日本には生活習慣に干渉する宗教的な偏見がなく、女性は男性の真似をしても余り文句を言われないし、性的にも解放も進んでいる。女性がどう振る舞うかは本人の自由に任されている。女性は思うがままに振る舞うことが許されている珍しい国である。それだけに、スカートをほとんどはかない女性がいたり、超ミニのスカートをはいている若い子も沢山いる。したがって自分の心理の通り行動できるのではないだろうか。男性は女性に比べると社会制約を受けるが、ニューハーフなども暗黙に認められている。性的に自分の思うままの行動が許されているという点では変わりはない。国の代表者がそういう問題に触れることは今のところないようである。

そして、男性であるにも係わらず自分の性別に非常な違和感を感じ、女性的な変身願望の強烈な人の存在が認められるようになった。いわゆる性同一性障害といわれる人たちである。女性の場合もありうる。平安朝に成立した最後の物語と言われる「とりかへばや物語」は、そのような極めて女性的な兄と極めて男性的な妹の物語であり、古くから特別視されていた物語であったが、現代になり注目されるようになった。また、エロスの世界で興味をひかれることが多い両性具有者(ふたなり)も同じような問題を抱えている。さらには、少女漫画の最高傑作といわれる「ベルサイユのばら」も主人公は、女性であるにも係わらず、男性の姿をしてフランス国王の近衛隊長として登場する。女性にも、やはり強い男性願望があることを証明している。

学生時代にテレビで見たアニメ編の「ベルサイユのばら」に、筆者は感動して自分にも女性の心があることを感じさせられた。このような現象がなぜ起こるのか哲学的に思索してみると、やはり人間は輪廻転生する者であり、前世に女性の長かった男性はより女性的であり、前世で男性の長かった女性はより男性的であると考えることが出来る。人間は神から分かれて来た存在だが、この地上では何回も生まれ変わり、男女の両方の性格を学び、異性の心がよく分かる人になるために訓練を受けていると考えることが出来る。

とりかへばや物語も漫画で描かれたり、パロディーとして現代的な設定で描かれたりして、源氏物語に次いで人気があるようである。筆者は原文の美しさを最大限活かした古色蒼然たる現代語訳を試みてみた。本来古文の物語は、現代の小説のように主人公の心理で描かれるのではなく、あくまでも第三者として伝聞調で描かれている。そこに二重の敬語が生じ、より一層格調の高いものになっている。筆者も伝聞調でなるべく原文の雰囲気の強い現代語訳にしてみたい。文庫本で四冊もある春夏秋冬編の四つの巻からなる長文の物語であり、読者が飽きないように、格調高くしかも言葉を選んだ現代語訳にしたいと考えている。

それでは、物語を始める前に、この繰錯した物語のあらすじを述べて置こう。

あらすじ

古典的入れ替わり物語


「とりかへばや物語」はだいたい12世紀半ばに成立し、その後12世紀末期に改作されたものが、現代に伝えられていると考えられる。13世紀初頭には元のものを「古とりかへばや」、改作版を「今とりかへばや」と呼んでいたことが知られている。無名草子(1201頃)は「古」に比べて「今」が物語の筋立てや文章表現などでひじょうに良くなっていると評価している。以下、まずはあらすじを見ていく。

男女逆転の姉弟

権大納言には男の子と女の子がいて、ふたりとも美しくまたよく似た顔立ちであったが、男の子の方は女性的、女の子の方は男性的で、父親をひじょうに悩ませていた。やがて本来の性に応じた感じに変わっていくかとも期待していたが、どうにも無理なようなので、仕方なく女性的な男の子を「姫君」として、男性的な女の子を「若君」として育てることになる。

やがて「若君」の才覚が知れ渡ると、天皇からぜひ出仕させるようにと言われる。天皇の命とあらば仕方なく、「若君」は男として元服し、天皇の侍従として仕えることとなった。

一方の「姫君」も美貌という評判から帝からもその弟の東宮からも、ぜひ傍にと所望されるが、さすがにそういう訳にはいかない。権大納言は「極度の恥ずかしがり屋なので」といって申し出を断り続けた。またその頃、「若君」と知りあい仲良くなった宰相中将が、彼によく似ているらしいという「妹」にも関心を持ち、ぜひ仲介してくれと「若君」に頼むが、これもさすがに受けることはできず、何とか断り続ける。

そのうち帝が退位し、東宮が即位する。そして先帝のただひとりの子である女一宮が女ながら東宮に立った。権大納言は左大臣に昇格、「若君」も三位中将となる。

ここで左大臣の兄の右大臣から、自分の娘、四の君を三位中将の嫁にしてほしいという申し出がある。焦った左大臣だが、左大臣の奥方は「あのお嬢さんはまだ幼いから何とかなるのでは」といい、三位中将と四の君の結婚が成立してしまった。

一方相変わらず家に籠もって過ごしていた「姫君」に、東宮(女一宮)の尚侍(ナイシノカミ)として仕えさせないかという話が来る。誰かの嫁にという話ではないし、それならまあいいかと父親も開き直り、「姫君」は宮中に仕えることとなった。

混線につぐ混線

物語中盤ではこの性別が逆転している兄妹と、プレイボーイで話のひっかき回し役の宰相中将を軸に、様々な男女関係が成立し、話はどんどんややこしくなっていく。とりあえずかいつまんで見ていこう。

まず、東宮(女一宮)の傍に仕えていた尚侍(姫君)はハプニング的に東宮と性的関係を結んでしまう。ふたりの関係はその後ふたりだけの秘密として続いていった。

一方でなんとか尚侍(ナイシノカミ)に近づきたいと思っていた宰相中将は手がかりを得るため中納言に昇進した「若君」のもとを訪れた折り、四の君を見て魅せられてしまい、そのまま関係を持ってしまう。そしてその時点で彼女が処女であったことに気付いた宰相中将はなぜ中納言がこの姫と一切関係を持っていなかったのかいぶかしく思う。

やがて四の君が妊娠する。四の君の父である右大臣はなかなか子供ができないのにやきもきしていたので大喜びするが、中納言[女]は当惑してしまうとともに、四の君を愛してやれない自分を顧み、彼女に申し訳ないという気持ちが募った。やがて四の君は女の子を出産した。

さて、四の君との関わりをつづけながら尚侍(ナイシノカミ)のことも忘れられない宰相の中将は何とか兄の中納言を口説き落として妹との仲介をと考え、ちょうど左大臣宅に戻っていた中納言[女]を訪ねていく。四の君のことに関してそれぞれ後ろめたい気分を持っているふたりは歌など詠み交わしているうちにおかしな雰囲気になってしまい、結局そのまま性的関係を持ってしまう!

中納言は宰相中将に自分にはできないことなので四の君を慰めてやって欲しいと頼み、宰相中将も積極的に中納言邸を訪れて四の君との関係をつづけるが、一方で中納言自身のほうにも熱心にアタックをつづけ、こちらの関係もつづいてく。そして、とうとう中納言は妊娠してしまった。

役割交換

妊娠してしまった以上、どこかに身を隠して女に戻り出産するしかないと宰相中将とも話し合って決めた中納言は、右大将に昇進した直後、宇治に引きこもって女の姿に戻った。しかし突然の右大将の失踪に都では大騒ぎになり、また四の君と宰相中将の密通がバレて、四の君は(その浮気が右大将の失踪の原因では?と責められ)父親から勘当されるハメになる。全ての原因を作った宰相中将は宇治と都を往復しながら、双方をなだめるのに大忙しとなる。

ここでそれまでほとんど何も活躍をしていなかった尚侍(姫君)[男]が突然行動を開始して、この物語は終盤へと怒濤のように進む。

尚侍(ナイシノカミ)はこの事態は自分が何とか解決するしかないと決断。右大将の失踪でショックを受け自宅に引きこもっていた左大臣の看病と称して宮中を出て、母親の協力などで尚侍が左大臣宅にいるように見せかけておいて、髪を切り男の服を着て、妹君の消息を探しに妹君が親しくしていた吉野の隠者(先帝の第三皇子が唐土[モロコシ]から帰朝して、二人の姫君ともども吉野山に侘び住まいをしていた)のもとを訪問する。

吉野でも手がかりを得られず困っていた兄君であるが、やがて妹君は男の子を出産して少し落ち着いた所で、兄君に手紙を出した。それを見た兄君は使者に問いただして妹の居場所を知り、駆けつける。かくして以前から変装していた男装の妹君と女装の兄君が無事巡り会うことができた。

兄君はふたりの顔立ちがそっくりであることを利用し、いっそのこと今までのふたりの役割を交換し、妹君が尚侍(ナイシノカミ)として、自分が右大将として都に戻ればよいということを提案する。最初は産んだばかりの子供のこともあり、また厭世的な気分になっていて渋っていた妹君だったが、やがて自分たちの道はそれしかないと決断。兄君と二人で宇治を出て吉野に身を寄せた。そして二人はそれぞれ、兄君は男としての教養、妹君は女としての教養に欠けていたので、お互いにそれを教えあい、都への帰還準備を進める。

やがて四の君は二人目の子供を出産する。この場に及んで右大臣も四の君の勘当を解いて孫の誕生を喜んだ。そして男女を入れ替えた兄妹が都に帰還した。またその頃、東宮も妊娠していた(当然「元尚侍」兄君の子だが東宮は父親が誰かということを言えずに困っていた)。出仕した「新尚侍」は兄からの謝罪の手紙を東宮に渡し、事情を説明する。結局、東宮と新尚侍の関係はそのまま続いていく。東宮が出産した男の子は密かに左大臣家に移され、新右大将がとある女性との間に作った子として育てられることになる。

大団円へ?

四の君は久しぶりの夫の帰還に(あなたの失踪のおかげで父親から勘当までくらったなどと)文句も言うが、その夫が自分に初めて性的な関係を求めてきたことに驚く。この後、四の君は宰相中将と関係を持つことはなく、(新)右大将[男]と睦まじい夫婦となっていく。

またかねてより尚侍(ナイシノカミ)に心を寄せていた帝はついに(新)尚侍の部屋への侵入に成功。性的な関係を結んだ。帝は尚侍が処女でなかったことに気付き、今まで自分がどんなに口説こうとしても拒んで来たのは、好きな男がいたからであったかと考え、またそれを言えなかったのはおそらく相手が身分の低い男だったからだろう、などと勝手に想像した。しかしその後、帝と新尚侍(妹)の関係も親密さを増していく。やがて新尚侍は妊娠。男の子を出産した。

また一方、四の君もやがて三人目の子供(男の子)を産んだ。一応三人とも公的には右大将の子ということにはなっているが、実は上二人は宰相中将の子で三人目が本当の右大将[男]の子であることは、右大将・尚侍・四の君・宰相中将の四人だけの知るところである。新右大将は新たに屋敷を構え、吉野に侘び住まいをしていた姫君の姉の方と四の君を妻として迎え入れた。

さて、この物語でいちばん哀れなのが宰相中将である。京都の四の君と宇治の右大将の間をせわしく走り回ってお世話していたはずが、右大将は突然の失踪。一方の四の君は勘当が解けて右大臣宅に戻り、なかなか近づけない。やがて新右大将が京都に帰還したというので喜んで会いに行くが、髭をはやしていて、度肝を抜かれる。

あまりに憔悴している宰相中将に、新右大将は吉野に侘び住まいをしていた吉野の姫君の妹君との結婚を勧めた。実際会ってみると好みの美人なので、宰相中将も乗り気となり、めでたく婚儀となった。妹君は元右大将が宇治で産んだ宰相中将の子を母親代わりになって育てていく。

やがて東宮(女一宮)は病気を理由に東宮の地位を退位。新尚侍が産んだ男の子が新たな東宮となり、新尚侍(ナイシオカミ)は中宮(妃)に昇進した。新右大将は内大臣となり、宰相中将は大納言となる。

また女一宮と元尚侍との間に出来て左大臣宅で育てられていた子は、内大臣と吉野の姉君との間に子供ができなかったので、その間の子として育てられることとなった。

みんながそれぞれに幸福な生活を見出していった中で、ひとり大納言(元宰相の中将)は(兄妹の入れ替わりに最後まで気付いていないので)成長する息子に母親[元中納言]の面影を見つつも、恋しい思いが蘇ってきて、ためいきをつくばかりであった。

典型的な入れ替わり話

そっくりの顔立ちの兄妹が入れ替わるというパターンの物語は、なんといっても「とりかへばや物語」はこの手の話のルーツである。入れ替わりというと映画「君の名は」などで広く知られる、男女の精神が入れ替わってしまうパターンもあるが、身体の交換が起きずに、男装女子と女装男子を同時に描き込む方式は、物語が破綻しやすいので、それを破綻させずにうまく描ききったところが、この「とりかへばや物語」のすばらしさである。

この物語は近年になって急に脚光を浴びてきた感もあるのだが、筆者もこの作品は王朝の雅と伴に人の心の複雑な内面性を描いた傑作だと思う。余り古めかしさを感じないのは筆者だけであろうか。現代人に通じる共感性が何処かにある気がする。現代文を書いている時それをつくづく感じることがあり、先に面白さがあるような気がして来る。また日本人の感性は今も昔も変わっていないのを改めて驚くことがある。

この物語で面白いのは、前半では主に「若君(中納言)」が活躍していて、「姫君(尚侍)」は消極的な行動に徹しているのに対して、後半でふたりが性別を元にもどしたあとは、兄君の活躍が目立ち、妹君は流されていく感じの行動しかしていない点である。つまりこの物語主人公は、ずっと「右大将(元中納言)」なのである。

男装・女装という「仮面」を外したとたん、ふたりの行動性も逆転しているのが面白い。案外人は自分の外的な仮面につられて社会的な行動をしているものなのである。誰にも心の中に男性的な部分、女性的な部分の双方を持っているのであろうが、仮面としてかぶっている性のほうが、そのまま表に出やすいのであろう。

しばしば何かの余興で女装させられたのがきっかけで、女に目覚めてしまい、女装そして性転換へと進んで行ったという人もいるが、実はもともと女性的な部分のほうが強かった人が、男の仮面に隠れて半ば無意識に女の部分を抑圧していたのが、たまたま女の仮面を被せられたのを機会に、本来の自分の性のあり方に気付いてしまうのではないかとも思われる。

仮面を付け替える

物語の中盤で若君(元中納言)が女の服を着て、眉毛を抜き墨でアイブローを描くシーンがある。それまでも充分彼女に魅力を感じていた宰相中将も、この「女への変身」で彼女がたいそう可愛くなったのを感じるのだが(原文の意のまま)、おそらく彼女自身もこの変化をで望んでいたのではないかと思われる。

一方の尚侍(姫君)も、最初は母親から「今まで女として生きてきたのに急に男になるのは無理だ」と反対されるものの、自らの意志でばっさりと髪を切り、男の服を着て凛々しい若者姿になったのを見ると、母親も驚き、その後は息子の行動を支援してくれる。

兄は仮面を女から男へと変えたことで内面の変化が誘発されている感じであるのに対して、妹は内面的に男から女へと変化したことから仮面を変えた感じであるのも面白い。

作者について

最後に作者について述べてみたい。作者は不明である。数十年後に改良された今とりかへばやが日本文学史上に受け継がれていくわけである。今とりかへばやが同一作者であるのは分からない。我々は今とりかへばやを読んでいるので、それを前提として、作者が物語に込めた意図を想像してみたい。

まず前半はほとんどの部分が中納言という理想的な男装女子を主人公としている。「ベルサイユのばら」のオスカルも理想的な男装女子である。しかも背景は双方とも宮廷文化が爛熟していたころの物語で、一定の共通性をみることができる。平安時代の物語の作者は女性である。そして源氏物語の影響を受けている。源氏物語を夢中で読んだ文学少女により書かれている。「ベルサイユのばら」も少女漫画の作者である。華やかで優雅な宮廷文化に憧れるのも女性らしい趣味であると思う。

作者が双方とも女性だから、女性作家の男性願望を満たすように、まるで模範的な男性としてあらゆる場面で活躍する。中納言もとんとん拍子に出世して宮の宰相ノ中将より出世が早かった。しかも中納言は帝の深い支持を受けていた。中納言は実は男装の麗人として活躍していたわけである。しかも宮中の殿上人(テンジョウビト)という地位にあり、帝や東宮の妃になれるような美人で有名な四の君の婿でもあった。四の君の父親の右大臣の絶対的な信頼を得ていた。和歌でも書道でも楽器でも天才的な才能を発揮する。順調な出世で父君を安心させていた。女性の男性願望を満たす理想の人物であった。

しかし、女性として恋を実現したいという願望も持っている。帝の中宮の華やかな行列を眺め、中宮の夜の逢瀬を優雅にこなしている姿を見て、中納言はため息をもらしている。外見は男性であっても、女性としての側面も強く出ている場面である。そして、宰相ノ中将の愛人として逢瀬を重ねるが、深窓の姫君よりも愛らしい女性であると宰相ノ中将より絶賛される。

しかし、女性であるが故に妊娠してしまう。中納言は山に籠もり跡を絶とうとするが、追いかけてきた髪を切った凜々しい若者の兄(尚侍)は再会を喜び、互いに役柄を代えて都に戻ることを勧めて、吉野の里で帰還の準備をする。これから後半の物語になり、今度は本来の性の魅力を互いに発揮していく。これも、読者は本来の魅力的な姿をみる好奇心をそそられる。まことに良く出来た物語であると思う。作者の意図は冴えている。

原典は、とりかへばや物語(全四巻) 全訳註 桑原博史 講談社学術文庫を用いた。

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著者 寺尾則郎(Noory) 中学校社会科教諭