夏の巻 第四章 過ぎ行く日々

七十二 大晦日

十二月の晦日(ミソカ)に父上にお会いになると、年末でだいぶ取り込んでいたようですが、夜でも隔てなく参上しないと心配なさるので、いつ来るかと待ち侘びていた喜びもあらわに中納言を見守られると、盛りに匂いうような容貌がたいそうやつれていたので、沈んで御前におられるので、(中納言が)はっと胸が痛むような気がすると、「どうして、ひどくやつれておられるのか。まだ気分が良くないのか」と思し召しになるのでございました。

「さして苦しいことはないのですが、いつもとは違い久しく体調がよくなかったので、そのなごりだと思います」と申し上げると、「たいそう不安だ、祈祷を始めた方がよいようだ」といって人を召して、ご祈祷・お祭り・お祓いをなさるのを見ていると、中納言は、「このように思って下さるが、後にはかなく消え去れば、どんなにか悲しまれるだろう」と拝察すると、ぽろぽろと涙のこぼれるのを抑えるのがやっとであったのでございます。

父上が「変わった育ちをしてしまい、如何ともしがたく、命が尽きるほどに思っていた。今は官位をきわめ、公私伴に名誉に預かり面目を施され、はかばかしくない我が身であるが有り難い栄誉に浴して、悩みも慰められ幸運なことと喜んでいた。されど、いつもと違い体調不良が長引き、物思いに嘆かれている様子をみると、たいそうわびしく、生き甲斐がなくなった様な気がしてしまう」と泣いておられているのを見ると、中納言は耐え難く悲しくなるのでございました。

中納言は、「何を思っておられるのでしょうか。体調の乱れが今までになく長くつづき、このようにご心配をかけてしまいました。人は自分の命は計り知ることは出来ません。将来のことも天にお任せするしかございません。今のわたくしはその様に思うばかりです」と申し上げて、御前で食事を頂くと、「あゝよかった」と思えて、父上も伴に頂かれるのでございました。

七十二 あらたまの春

年を越すと、犠牲の子羊の心地がして、「これが最期であろう」と思われて、正月には、御車、下簾(シタスダレ牛車ギッシャの内側の簾)・榻(シヂ牛車に乗る踏み台)などまで新しくして、随身の者などまで衣装の色を整え、装束をお与えになったのでございます。中納言十九才の春でございました。

自らの装束はいうまでもないことでございました。上着・下襲(シタカサネ)まで氷の溶けた池の面(オモテ)の如く輝いていて、もてなしの用意まで気持ちを込めて、まず左大臣の殿・母上に拝し奉りなさるのでございました。

中納言の容貌は光るばかりに見えて、殿は不吉なことは何も仰らなかったのでございます。

内裏に参ると、見る人の全ての人が中納言に目を驚かしており、宰相ノ中将も人より際立つ様子で参り会って見ると、中納言がこれほどの素晴らしさでお参りになり、世の名声・ご様子が格別であるのを見て、「身を女に変えにくいのかも知れない」と胸が締め付けられる気がするのでございました。

目を向けていれば、ごく普通にもてなしており、宰相ノ君とも会わず、尚侍(ナイシノカミ)の方にゆかれてしまったのでございます。

そちらに参ると、殿上人(テンジョウビト)・上達部(カンダチメ)があまたおられて、出てきて持て囃(ハヤ)されるのですが、中納言はこの期に及んで、派手なことは気が引けるのですが、宰相ノ君に琵琶を渡して、「梅が枝エ」を披露されたのでございます。歌った声も美しく、たいそう目出度い雰囲気でございました。

宰相ノ中将は、尚侍(ナイシノカミ)に惹かれて慰めようとした時があったのですが、「あさましく、強情に振られてしまった」と思い出すと、心が落ち着かず、去ってしまったのでございます。

中納言は節句ごとに内裏に参り、たいそう細かに万事完璧に勤めつづけ、年老いた身分の高い上達部などよりも、公事(クジ)の評定(ヒョウジョウ)などでは、帝は中納言の意見を、畏(カシコ)くも思し召し、世にもないようなご寵愛は頂点に達していたのでございます。

七十四 花の宴

その年の三月一日の頃、いつもの年より桜が美しく咲いた年でございました。恒例の南殿の花を賞味する席が設けられ、世にあるそれぞれの博士を召して素晴らしい題が工夫されたのでございました。

当日、題を賜り、人々は漢詩文をお作りになったのでございます。中納言は天才的な才能を発揮して、一際優れた漢詩をお作りになったのでございます。その道の博士でも及ばないものであった為、「日の本はもちろんのこと、唐土(モロコシ)でも聞いたことのないような優れた詩である」と帝を初めとして口々で吟じさわいで、しかるべき人々をさしおいて、帝は中納言を御前に召して、ご衣服を脱いで引き出物として賜ったのでございました。

階(キザハシ)を下りて御礼の舞踊をなさる中納言のお顔や心持ち、姿は、いつもよりも目出度く、帝もご満悦になるのでございました。その姿は花の匂いに勝るとも劣らないので、人々は、たいそうあはれに思われたのでございます。

父左大臣は、「あゝこれほど立派な姿なのに、まろがくよくよしすぎていた。誰があの子の秘密を知っていようか。こうしたままで、よかったのだ」と涙ぐまれたのも当然なことでございました。右大臣の大殿の喜びもなおさらのことでございました。お二方の父上の御心の嬉しさは伴に優劣のないものでございました。

暮れて来ると、管弦の御遊びが始まったのでございます。中納言は「これが最後の御遊びだ」と思われて、折々の御遊びに隠していた音を心に込めてお吹きになると、雲を分けて響きのぼり、身が清まるようであり、言い尽くせないほどでございました。

七十五 右大将の宣旨

様々に趣向をこらした才能・様子はこの世のものではないと思えるものばかりでございました。この様な繁栄はこれまでになかったのではないかと思えるので、中納言の余りの美貌と天才的な才能により天に召されるのではないかと心配されるほどであったのでございます。

帝はたいそうご満悦で、「物事には時機というものがある。ただでさえ中納言はしかるべき官位がついていかないことがあるのだが、今日全てに優れた成果があったので、我の志を顕(アラワ)そう」と思し召して、右大将の官位を賜る宣旨を下されたのでございました。

宰相ノ中将にも、「人よりたいそう優れている」と思し召して、権(ゴン)中納言の官位を賜れたのでございました。

大将の宣旨を賜りて、夜に入って父左大臣も帝から退出され、中納言は近衛司(ツカサ)の格(帝を守る近衛兵の長官)として父上をお迎えになられたのでございます。

身がふるえるような目出度いことであったので、右大将(元中納言)は、「あゝ我が心の内は人に違う身と、嘆きの絶えない時がなかった。このように輝かしい身分に登りつめたが、もう少ししたら、はかなく世から消えてしまう事になるとは」などと、何につけても心の内は暗くなる一方なのですが、もの悲しい心も知らないで、父君が右大臣邸に右大将を連れて入られると、右大臣邸では大騒ぎをして喜びなさるのは、まるで娘が帝の后になるのを上回る様に喜んでいらっしゃるのでございました。

権中納言(元宰相ノ中将)は、昇進の喜びも、「人より優れて名誉のようだが、人の昇進の後に我が身が続いていた、お情けなのだ」と思うのでさほどは喜ぶ気になれないのでございます。「中納言はすばらしい容貌と才能であった。このような身を埋もれさせてしまうのは、我が身の上から考えると容易ではないあ」と、一晩中考え明かした後、お祝いの言葉をなどを書いて、

紫の 雲の衣の うれしさに

 ありし契りや 思ひかえつる

(紫の大将の衣を着るうれも分かりますが、ありし日にした契りを思い出しています。)

内外で喜びや何やかやと騒がしいですが、我が心の内はかえって心が尽きるほど思い乱れている時ですので、本心を察してくれた権中納言(宰相ノ中将)に、気が利いていてあはれさを感じて、「お喜びを、まず何よりも思いまして」と書いて、

物をこそ 思ひ重ぬれ 脱ぎかえて

 いかなる身にか ならむと思へば

(いよいよ思いが重なります。今の姿から、いずれ衣を脱ぎ変えてどんな身になるかと思いますと・・・。)

とありますのを、「貴方のことを思うままに」という書き込みがあはれなので、手紙を受け取った喜びを覚えるよりも、泣いてしまわれるのでございました。

喜びや何やかやと騒がしくしていると、全く暇がなくて、二人だけで出逢うことも難しく、月日を数えつつ、「いずれは我のものになる人だから」と思いながら、寂しい心を慰め過ごされるのでございました。


七十六 女君の歌

右大将(旧中納言)は身重の身体が目立って来るにしたがい、「まだ捨てがたい身といいながらも、このままではいけない」と思い、心細くて、気を紛らわせるのに内裏の宿直(トノイ)がちに過ごしておられるのですが、権中納言(旧宰相ノ中将)が参上して、例の休憩所で待ち合わせて相談するのですが、権中納言は忍びで手紙の返事を書いているのでございます。

少し気取って使いの者に渡しているのでございます。隠せば怪しがられるし、隠さなければ右大将の目があるので悩んでいる風なので、「右大臣の四の君のでしょう」と見当がつくので、「まあ、誰の手紙かしら、見たい」というと、ふざけて奪い取ると、特に隠そうともしなかったのでございます。

えもいわれぬ紫の紙に、墨の薄い見えるか見えないような筆遣いが四の君のであることが分かるので、「御婿さんの右大将の昇進を喜んでいるのでしょう」などと書いた返事である。

上に着る 小夜(サヨ)の衣の 袖よりも

 人しれぬをば ただにやは聞く

(上に着る 夜の衣の袖のような上辺だけの夫よりも、人知れぬ真に愛する貴方の昇進の話を平静には聞いておられませんでした。)

と書いてあるのでございました。

見てると目をそむけて、「余りの薄墨で何を書いてあるか見えない。誰の手紙」と言い紛らわして、差し出すと、「何かかいてある」と問うので、「さあ、ぼんやりして、よく見えませんでした」といって、この話はやめにしたのでございます。

心の内で、「男も女も、信用できないのは人の心だろう。この女君は、見た目は純真で上品、世間ずれしていないようだが、このように大胆なことを書いてくる。内面の心が如何ともしがたく現れたものであろうが、世間の噂や秘密の逢瀬などは我が身にとって大切な私事なのに。まして世間一般の人の心はどうであろうか」と思いやるとゆううつだが、「今さらとやかくいうような様子は見せたくない」と思うので、女君にも自分の本心は見せないのでございました。

七十七 麗景殿の女

「(身重が限界なって来たので)この月だけは、このように過ごそう」と思って、左大臣の父君のところは日々に参り、宿直(トノイ)などをしておいでになるのでございました。

数年来、上達部(カンダチメ)や殿上人などの人には、特別なことがない限りは、目を合わせて話したりしないので、「たいそう立派な人なのだが、人を敬遠して、貴人ぶっておられる」など、そればかりが欠点であると思われていたのですが、この頃はあまねく人にお声をかけ、たいそう親しげにもてなして、しかるべき侍女にも、うかつに言葉を申し上げにくいと思われていたのですが、情けをかけて話をされるので、噂の種になっているのでございました。

内裏の宿直(トノイ)の折に、二十日余りの頃の月の姿がない時分、「闇はあやなし」という古歌が歌われた通りに匂いを深くたきしめて、かつて五節(ゴセチ旧暦11月の新嘗祭の頃)の頃、「なべて難きの」と詠みかけて来た麗景殿の女を思いだして、宿直(トノイ)の殿上人が寝静まった頃、あの時と同じ時期なので、麗景殿の辺りを忍んでたち寄って、

冬に見し 月の行方を 知らぬかな

 おぼつかな 春の夜の闇

(冬の五節の頃に見かけた月のような人の行方が分からない。春の夜の闇のようにあてどもないことだ。)

末の句を面白く朗詠していると、ふと寄りかかる人がいて、

見しままに 行方を知らぬ 月なれば

 恨みて山に 入りやしにけむ

(一度見たきりで、行方も分からぬと仰る月の私ですが、あなたを恨んで山に入ってしまいましたよ。)

と答えたのは、あの人の気配であったのでございます。

心細い右大将に、わざわざ出てきてくれたのも並の愛情ではないと思い、「そんなには」と思っていたのに、同じ心でいてくれたのも、見過ごしにくく、その女のもとにお立ち寄りになったのでございました。





これで「夏の巻」を終わりにします。


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