秋の巻 第二章 その後の人々

八十八 その後の右大将

権中納言の父の宮の邸に来てから、早くも二十日余りになってしまいましたが、することもないままに、次第に落ち着いて来るにつけても、殿、母上のご様子などが悲しく案じられて、自分も夢を見ている心地がするのでございました。

心の深い愁いを安らかに臥して過ごしたせいか、身も心も休まり、薬の効き目があり、御髪(ミグシ)も長く伸びてきて、可愛く背中に触れて、眉なども筆で描いて日が過ぎてゆくのでございました。

様子はすっかり女性的になり、花々と可愛く、匂うような眺めが美しく、顔は思い乱れて、一重に権中納言に頼んで、今は、「吾が身はこうあるのが良かろう」と思い、柔らかにもてなすのは昔の右大将とも思えないのでございました。

権中納言は、可愛くしとやかになった彼女を、限りなく好みに思い、「昔から寝ても覚めても、この様な女を夢見て来たので、神仏が願いを叶えて下さったんだ」と喜び、「彼女に悔しい思いをさせないようにしよう。昔のことも忘れさせよう」とあらゆる方法でもてなすので、彼女も段々と慰められて行くのでございました。

昔の宮中で並んで仕えていたので、思い出すことも折によりあるのですが、権中納言は彼女を引き寄せて、「あの時は誰が好きでしたか」と聞かれたりすることが多く、恥ずかしくて聞きにくく、知らぬ顔で耐えていると、例の左衛門の手紙が届き、「四の君のことは両方が関わっているので、隠すのはよそう」といって入って来たものを見せ、「世の噂や左大臣様のご様子もいたたまれなく思ってしまいます。四の君も如何なる心地がしているでしょうか。我ゆえに大変なことになっているのも残念なことです」というが、右大将にしてみれば、自分も権中納言のどちらにしても世間並でないことが因縁となり、四の君も自分も運勢が乱れてしまったことを思えば、ただ権中納言の隈なき女好きが起こしたことであると思ってしまうので、うっとおしく思ってしまうのでございました。

右大将は、「四の君も、権中納言がいなかったら、あのまま私と一緒に過ごせていたかも知れないのに」と思うと涙ぐましくなってしまうのですが、権中納言はそういう姿も愛らしく思えるので、片時も離れようとはしないので、落ち着いた心にもなれないのですが、途方にくれる四の君をほっておくことは出来ないので、「ただ今夜だけ」といって出かけてしまったのでございました。

権中納言は、「どうしてやればいいのか」と悲しきままに思い悩み、暮れて来ると月が明るく、水の面(オモテ)も澄み渡り、考えることが尽きせず、胸より余る心地がして、

思ひきや 身を宇治川に すむ月の

 あるかなきかの 影をみむとは

(思い悩んでいたら、あなたの身が、月が宇治川に映っている様に、あるかないかの様に消え入りそうに見えてしまいそうです。)

八十九 四の君と権中納言

権中納言は、行く途中も落ちつかず、四の君の面影も離れない様子で都の右大臣邸に着いたのでございました。夜もふけて忍んで立ち寄り左衛門に対面したのでございます。左衛門は事の様子を泣く泣く申し上げて、「ただ意識があるかないかにて、今は限りと消え入りそうでございます。心細い悲しさは、誰に頼ったらと思われるご様子です」というのも道理で、「お逢いしよう」といっても、今は心強くても、気強い状況ではないのですが、左衛門は、「何ともいえない悲しいご様子なのでお憐れみ下さい」と、ものの道理も分からないままに案内したのでございました。

仄かな灯火(トモシビ)に、寄り添う人もない身で、髪は長く身に添えて、お腹がふくらんでいるままで臥しており、京にいない田舎武士や奥州の夷(エビス)でさえも、のぞいてあはれで心配になるほどなので、まして人一倍情けのある権中納言には、目にしたら心が痛み、涙にくれてしまいそうになるのでございました。

添い寝をして、腕をもって「ねえねえ」と言葉をかけると、四の君がけだるそうに眺めると、「どうしたこと、こんな時に、また来たの」と答えるものの、息も絶えそうで涙が流ている様子もあはれで、権中納言も涙にくれてしまったのでございます。

権中納言は、「余り深刻にお考えなさらぬように。命さへあればいずれ親のお許しもあるでしょう。このような妊娠中になくなるのは縁起がよくありません」と知らせて、お白湯(サユ)をすくい、口にお入れしましたが、ただただ消え入るようで、悲しくひどいのは世の常であると思われるのでございます。

「この様子では、どうしたらよいのか」と、灯火(トモシビ)を近くに寄せると、目に入る顔、手つきなど上品で愛らしいことは限りないのでございました。

この女を虚しく死なせたらと思うだけでも絶望的で、権中納言も同じ様に添い臥しているのでございました。

九十 聞きにくき噂

日が明けても四の君を放っておく心地にならないので、ご祈祷をするように熱心に仰ったりして、添いつづけられたのでございました。侍女たちが、「どうなるかしら」と控えめながら頼もしく思うのもはかない気が致すのでございます。

宇治の彼女の元にも帰る事が出来ず、色事で悩むのも、「どうなることか」と気がとがめられるのですが、目の前の四の君を見捨てることの出来るような性格ではないので、文ばかりを繰り返してお書きになり、五六日と日がたち、四の君に添って泣く泣く看病をなさるのでございました。

「はたしてこれでよいのか」と天の御心も気になるのですが、四の君がどうしようもなく命をまかせる風であるのも、なおさら見捨てがたくあはれで、少しもおそばを離れず、心からいとまなく添っておられるのでございます。自ら蒔いた種なので、逃げる訳にもいかず、悩みが深く思えるのでございました。

世の中では、右大将が身を隠したのを、朝廷も民間も嘆き悲しんでおり、「権中納言の密通のためだ」と噂してるのを耳にしたのでございました。権中納言は、右大臣の目にとまりお怒りになるのもいたたまれないので、世をはばかって、外へ出歩くこともなさらないのでございました。

九十一 元右大将と権中納言

あれこれと病気平癒の祈祷をさせ、万事にお世話をして、泣く泣く別れを告げて、宇治にお帰りになってみると、こちらは人影もまばらで、この人(元右大将)もお腹をふっくらさせて、身動きも不自由なふうでいらっしゃるのでございました。

思いを馳せ思案にくれて、もの思いに沈んでおられる彼女の様子に、「どうして、この数日間離れて暮らしてしまったのか」と、あきれるほど思われる権中納言の心中も、四の君の危機的な様子では、仕方がないと思われるのでございました。

権中納言は、こちらでも涙に袖を濡らしつつ彼女(元右大将)を慰め、あの四の君の様子なども、わけ隔てせず彼女に語りかけているのは、却って浅からぬ四の君への愛情としか思えないのでございました。

四の君のことが気がかりで、落ち着きがなく、文を書きたげで、彼女(元右大将)への想いに劣らない様子に、四の君と彼女が並びたっていると思えるのでございます。

二人の女がいるのを人が見たら、さぞかし自分がやつれて見えるだろうと彼女は思うのですが、かつての妻である女君(四の君)の事を、あえて何とも思わない風に装っているのでございます。

四の君のことは彼女(元右大将)にも責任があるので、恨みごとをいうのはふさわしくない心地がして、見知らぬ顔をなさっているのでございました。

しかし、心の内では、「私をかけがいがないと思って下るなら、昔とは格段の差があり、この様に心を二つに分けられてはどうしようもない」などと思われるのですが、「出産するまでは、この人に背いて離れるべきではない」と、男姿になれてきたお心は、男の心を汲んで、穏やかな顔をしているのを、権中納言は、「まったく理想的で喜ばしい」と限りなく思い込んでいるのでございました。


彷徨えるオフィーリア               ウォーターウッド



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