秋の巻 第五章 秋の夜の対面

百四 右大将の出産

宇治では、女君(元右大将)が苦しげで、月もたっているので、権中納言も片時も離れず、「どうしたらいいのか」と思い悩むのですが、女君の人柄は容貌をはじめ、全てに匂うような雰囲気と愛嬌があり、いつも見ていたい人であり、態度や様子を華やかにされるので、上品ぶって引っ込み思案にしんみるするよりも、にこやかで明るく、物を思い嘆いても、一途に思い沈んでいくというのではないのでございました。

泣くべき時は泣き、おかしく戯れるときは笑い、いうことがないくらい愛嬌がある人ですが、大変心細く苦しげで、すっかり弱り切っている様子なので、権中納言も、「我が身に代えても、この人をなんとか無事なように」と思い悩むしるしにでしょうか、七月一日に思っていたより遅れて、光るような玉の男子(オノコ)がお生まれになり、その嬉しさは世の常ではないのでございました。

女君が産んだお子を自ら抱いておられる様もあはれでございました。お子を、目も離さず、知り合いで乳の出る乳母(メノト)を迎えたのでございました。乳母には、「世間に披露できる子であれば、頼もしくもてなすことが出来ますが、万事に一目を避けているので仕方がありません」といい、権中納言も残念なので、このごろは他をかえりみず、お子の世話に熱中して、ほんの少しも外出をしないのでございました。

日がたつにつれて、この若君の可愛いく光輝く様子を、母君の身元に抱きつつ、お世話をされているのでございました。

権中納言は、このあはれなる契りを、「昔よりこのような有様であれば、悩みもなかったのに」というと、女君も、「そうね」といい、昔を思いだし、「怪しい男がいるのではないか」と、四の君の子供が出来てから七日の産養(ウブヤシナイ)の夜に扇を見つけたりしたことを、たいそう雰囲気のあるいい方で話し、互いにおかしく思い出されるのでございました。

百五 母として妻として

この様子で十日余り過ぎると、権中納言は「今のように行くだろう」と心が落ちついて来たのでございます。以前は「姿をどうするだろうか」と心配であり、「元の男姿に戻るかも知れない」と気がかりで落ち着かなかったのでございました。

この小さな若君をたいそう可愛がっていて、常に抱いておられるので、「この子を見捨てて離れて行くことはないだろう」と思う気持が強くなって来たのでございました。

今一方の四の君が、この世にいながら弱り果てており、「お産も近づいている」ので、行って泊まることも出来ず、気がかりで仕方がないのでございました。

「四の君がこのように気の毒なことになったのも、我が身のせいです。ほっておくのは可哀想で、最後まで面倒を見たいと思います。少しの間も気がかりで、不安でしようがないので、そっとここへ連れてこようと思うのですが、いかが思われますか。あなたは元夫で見捨ててしまった人だが」と女君に話すと、心の中では「嘆かわしい」と思うのですが、表情には出さず、「前の夫と見破られるのが恥ずかしく思います」と顔を赤らめるのが、可愛く見えるので、権中納言は微笑まれるのでございました。

女君の方は大丈夫だと思えて来たので、苦しくしている四の君に心が移り、熱心に接していてもなんとか安心出来るようになったのででございました。

今は父親から厳しい処分を受けて見放されておりますが、母上は、右大臣の御寵愛が幼い頃から限りなく深いので、父親に遠慮して、さほど深い愛情を持たなかったのでございます。「思いもしないことになったけれども、心を寄せるほどでもないご様子」といって、身に代えて添ってもいないのでございました。

兄弟の君達(キンダチ貴人)も、父親の並びないご寵愛に遠慮して、この世の騒ぎにも、特に可哀想だと思い申し上げる様子もなく、四の君にとってはまことに哀れなご様子でございました。

このような状況の中で、権中納言にのみ深く愛されているのですが、その様子は、たいそうあはれな人が、くずれかかるようであり、あらゆる事に契り合い、心優しく慰められている四の君の愛らしさは、類いないほどでございました。

この頃になると、出産がいつになるか分からないので、権中納言は四の君の方に行ってしまい、宇治にも久しく戻ってこないので、文だけは立ち返り来るのですが、それでは女君も余り嬉しくもないのでございました。

「所詮男心はこのようなものである。我が身一つだけで、あらゆることにつけて耐えなければいけない。ある時代に並ぶことのない地位に上った身を、元の女に戻って特に良くなったわけではない。このように待ち遠しく、いつ帰ってくるか分からない男を待って生きることが、あるべき事とは思えない。右大臣様は世の中が騒いでいる間は遠ざけても、世にないほど愛しんだ娘である、ある時期が来れば、一方的にお許しになり、強い味方になるだろう。私は右大臣とは何の関係もない。まるで宇治の橋守が網に入る魚の数をかぞえるような、はかない存在だ。といってもう男には戻れない。なんとかして尼になり吉野山に身を隠し、宮に倣い後生の勤めに励む方が身の為である」と思うのですが、この幼い若君を捨てがたく、憂き世を離れるほだしになる心地がするのでございました。

百六 権中納言の愛

七八日たって、権中納言が戻って来たのですが、包み隠さず四の君の頼りない様子を愁いているのを聞くのも、面白くもないのでございました。

ある程度配慮して人ごとのように話せばよいのに、包み隠そうとしないので、「もう何日も夜を伴にする人ではない」と思えば、これで最後だからとまともに対応して、思い遣りに思いを重ねて一方ならぬ心使いをしているのですが、権中納言は多くの女に惚れっぽいたちなので、女君は彼を浅くしか捉えていのでございました。

「やっと帰ってきた」と思われても、夕方京より使いが来て、「いつもよりひどく苦しそうにしておられるので、妊娠が間近でございます」と囁(ササヤ)くのをお聞きになると、心が騒ぎ胸が潰れる思いがして「日頃から四の君のところにいることが多いのに、今日の内に驚いて行ってしまったら女君がどう思うだろうか」と考えても割り切れない心地がするのでございました。

自分から行こうという思いは、状況が変われば、改まることもございましょう。しかし今は、一度も見ないで四の君が虚しく亡くなったら、後悔しきれないほど悲しく、その旨を言い置いて、急いで立ち去ってしまったのでございました。

女君は「仕方のないことですね」と心安くいっておいたにも関わらず、「昔男姿でいたころは、人に恨まれるようなことがあっても、たいして不愉快で苦々しい気持になることはなかったのに、女姿になり逆に人を恨んでしまうのは嫌なものだ。それだから釈迦仏も女を業の深い者と思われたのであろう。昔は行方不明になることが時々あることで右大臣様に恨まれ、同じ様に妻の四の君にも寂しい思いをさせてしまった。その報いとして、その人たちから今辛い思いをさせられているのであろう」などと過去から将来まで思い重ねて、話相手もいなければ心に思い込んでしまい、苦しい日々がつづいているのでございました。

翌朝権中納言から、「四の君の頼りない様子が何とも可哀想なので、妊娠が近づいているので最後まで見届けようと思っています。心が落ち着かず、すぐ出て行ってしまったのも心外で、本当に様子が分からないので申し訳がありません。若君のことも含めて方々へ」という文が届いたのですが、目にも留まらないのでございました。

「深く思い込んでも限りがありませんよ。たいそう愛しい方なのですね」と返事を申し上げるのですが、権中納言は、「次第に女性に慣れている人であるから、ひどく恨む気配もなく、さっぱりしていることだ」と見なしているのも、愚かなことでございました。

百七 吉野山への文

女君(元右大将)は、宇治から、「どうして吉野の宮に消息を知らせたらよいのか」と思っていましたが、幼い若君の乳母(メノト)が性格も朗らかで、惜しいほど心がけが良いので、「若君をたいへん思ってくれるので、こちらの心を深く語れば、他人に口外したりしないだろう」と思って、親しくしているのでございました。

「深い知り合いではないですが、幼い若君を思うお気持ちがとても深いので、心から信頼しているのですが、まろが申すことを人に知られないように聞いて下さいませんか」と親しく語りかけると、「何とも嬉しく有り難い」と思って、「それはもう、身を捨てよといわれれば、捨ててもかまわないほどです」と申し上げるのでございました。

「ここにいる人にも、まして権中納言様にはお知らせ致しません。吉野の山の奥におられる聖の宮に消息を申し上げるべきことがあります。都合をつけてもらえるでしょうか」と仰ったのでございました。

「いとも容易(タヤス)いことでございます」とお聞きになると嬉しくて、「この数ヶ月ご無事でお過ごしでしょうか。ご返事が遅れ、多分心細くご心配のことと思います。幸い今日までは事もなく元気でおります。以前にご覧になられた様とは違っております。何とかして、そちらに参りたいと思っております」と書いて、しっかり封をして、「これを確かに」といって差し出されたのでございました。

乳母は、この方のご正体は誰であるか知る人がないのですが、「かの吉野の聖に姫君がおありと聞いているので」と思い納得するのでございました。

このように消息を書いたのは八月一日の頃でございました。乳母の身に親しい侍がいたので、確かに教えて吉野の宮にお届けしたのでございました。

百八 吉野山の尚侍

吉野では、男君(元尚侍ナイシノカミ)は予期せぬ滞在になったので、漢学を学んだりして、「思う様に頼もしい師にお逢い出来たものだ」と喜んでいるのでございました。事に触れて、姫君たちのご様子が、言葉では表せないほど奥ゆかしいのですが、「宮の聖(ヒジリ)のような清らかなご様子に、ふと気色ばんでお言葉をかけるのも」と遠慮されてしまうのでございました。

「この時期になれば、そろそろ右大将の消息があるのではないか」と待ち望みつつ、七月末頃にはと約束なさっている時期も過ぎているので、寂しげに待ち侘びている夕方、感じのよい男が、「この文を持って参りました」という知らせがあったのでございました。

宮が「何処(イズコ)よりか」と尋ねると、「吉野の宮様に確かにお届けしろと言われました」と答えるので、宮が手にとってご覧になると、右大将の文でございました。たいそう喜ばしく客の男君に手渡さられたのでございます。余りの嬉しさに心が混乱して、「今までとは違う様」とあるのを、「尼などになっておられるのだろう。いい加減に身を隠される方ではない」と胸が潰れるほど心を動かされたのでございます。

男君は使いを召し寄せて、「どこにおられるのか」と尋ねると、「そこを申せとは言われていない」と思い申し出ないので、たいそう高貴で清らかにお訪ねになるので、とても有り難い気になり、「宇治の辺りにおいでになります、とお聞きしております」といいますと「宇治のどこなのか」「式部卿ノ宮の御領地、とお聞きしております」と申しますと、「そうであったか、あの時見た人は右大将だったのだ」と思い合わせられて、嬉しくもあり哀れでもあり、思いは限りないのでございました。

百九 文の往来

男君(元尚侍)も文をお書きなさり、「六月のある日に思いたって、都を離れて、宇治に立ち寄って、吉野の宮様を訪ねて参りました。宮様から右大将様からの御消息があったことを頼りにして、そのままにこの吉野山に跡を絶えて過ごしておりました。今は如何なる有様でございますでしょうか。何とかお逢いできるでしょうか。参ることの出来るところでしょうか」など、細かく書きつづけて、宮様のご返事に添えて文を差し上げたのでございました。

この使いに衣一重ねと乗って来た馬とを与えて、「この馬に乗って速く参り、ご返事を確かに頂いて来るのじゃ」といって、与えると、あきれるほど「見覚えがないくらい嬉しきこと」と喜んでとんで行ったのでございました。

使いの者が、宮の返事を差し出すよりも早く、「ただ今戻りました。ご返事の文を頂きに参りました」と申すので、女君(元右大将)がご覧になると、宮の返事を見て、今一つの尚侍の文を目を通して、「あの時庭で見た人を誰かと思えば、尚侍(ナイシノカミ)の君が有様を変えて、まろを訪ねて世を去っている姿であったのか。愚かにも思いよらなかった」と驚き悲しくて、涙で文が見えない程でございました。

「まろもあらぬ様になり、かの君も自らあらぬ様になったのは、意味のあることであったのだ」と泣く泣く、ご返事を細かくお書きになり、「詳しいことは自ら申し上げたいので、宇治のこの辺りの近くにお越しになり、この使より消息をお聞かせ下さい」と申し上げなさるのでございました。

吉野山の男君(元尚侍)は、文を読み夢見心地に嬉しく、「今の右大将様の有様を見聞きしたら、ともかくも父君に消息を申し上げよう」と思し召し、密かにその使いの道案内で、宇治の御領地の辺りに近い人の家に留まり、右大将様に消息を申し上げたのでございました。

百十 秋の夜の対面

権中納言は、四の君の状態が緊迫しており、しばらく留守でございました。

女君は信頼している乳母(メノト)に、「兄弟にあたる人が、密かに来ているので、人に知られないように対面したいと思っています。お節介をしているように殿に思われるのはまずいので、人に様子を見られたくないのですが」と語りかけると、「いとも容易(タヤス)いことでございます。私の局(ツボネ)に京より詣でにくる人のようにして、暗くなっておいでになり、夜が更けて対面なさるのがよいでしょう」など申し上げると、「それでは、そのように」と仰ったのでございました。

殿(権中納言)がおられないので、殿の侍女なども添っていないので、安心できる夕暮れの間際に乳母の局にお入れして、夜が更けて皆寝静まって、そっと西の離れに導き申し上げたのございます。

尚侍(ナイシノカミ)がおいでになると、互いに夢の心地がして、物も申し上げなかったのでございます。月が明るい夜でございました。右大将は、髪はつやつやと隙間なくかかって、限りなく可愛らしく、なつかしくて泣かれていたのでございますが、「いったい、どなた様が」と思われるのでございました。尚侍は、えも言われないほど清らかで、りりしく気品のある男子で、現実(ウツツ)とも互いに思えないのでございました。

行方不明になったのを耳にして、髪をばっさりと切って世に絶えるのを覚悟で右大将を訪ねる旅に出たこと。宇治の御領地では右大将にそっくりな方に出会い、まろをご存じではないかと思いつつ、仕方なく去らねばならなかったことなど、細かに語って、「それにしても、なぜここにおいでなのですか」と問われるので、申し上げるのも恥ずかしいのですが、格好をつけて隠して置くべきことではないので、「常日頃から変わった身の有様を思い嘆いていましたが、今さらどうしようもない、このままいくしかないと思っていましたが、心外にも憂き出来事があり、今までの姿ではいられなくなり、思い煩ったあげく身を隠したのでございます」と、ほんの様子だけ仰るのですが、尚侍は「多分そうだろう」と納得なさったのでございます。

尚侍は、「今はこのような姿であるべきなのですが、このように人に知られない様子であれば、これからどうして過ごしていかれるのでしょうか。父上にはいかが申し上げたらよいのでしょうか」と仰ると、右大将が「このとこなのです。このままではいけないと思っております。しかし、今のような身になった恥を人には知らせたくないのです。まろの秘密を知られた人にひたすら身を任せてみましたが、これではいけないと思っています。しかし元の有様に戻ることも出来ません。いずれにせよ、身の置き所がないことを思いますと、吉野山の聖(ヒジリ)の宮を訪ねて、尼になりこの世から跡を絶えることを考えています」と泣きながら仰るのでございました。

百十一 尚侍の知恵

「右大将様(女君)、その様なことをいわれないで下さい。父君、母上の生きておられる内は、我も人も世を捨てるべきではありません。今回の騒ぎで、父君は茫然自失の体(テイ)になってしまわれたのを拝見して来ました。ですから、このように隠れて忍んでいてはいけません。また、不自然な有様でいるべきでもありません。まろは父君の邸から、全て秘密にして出て来ました。誰もまろが不在と思っている者はございません。ですから、女君の尚侍(ナイシノカミ)として邸にお入り下さい。権中納言様と一緒に住むのもよいでしょう。今住み始めたようにもてなせば、人目も悪くはないでしょう」と仰ったのですが、女君はご返事はなさらなかったのでございます。

そうすると、女君は、「権中納言には行方を知られたくないのです」と申し上げると、尚侍(男君)が、「それはよろしくありません。人柄はあのようであっても、いうことのないご身分とはいえないにしても、決して見劣りのするご身分ではありません。もし貴女がそのように思われるのなら、こっそりと忍んでお入り下さい。後は父君の思し召す様になされば好いでしょう」と申し上げると、女君は、「父君には身を隠していた有様を余り知られたくないのです」と恥じらっておられるのも、長年男装していた人とは思えないのでございました。

話の尽きることもないのですが、夜が明けたので、尚侍(男君)はそっと出て、これより京に赴くのですが、これが最後かと髪を切って京を出た時の悲壮な気分が思い出されて、父君のところに行かれるのに前もってお知らせもなさらないのでございました。



秋の巻、第五章「秋の夜の対面」終わり


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