春の巻 第八章 ものうき帰京

五十一 父のもとへ

野山の景色がだんだん色深くなって来るのでございました。

「あゝ日数も多くなってしまった」などと、しみじみ思いながら、まず殿のところに参上なさったのでございました。

殿が「二三日かと思っていたが、なかなか帰ってこないので、悩んで山にでも籠もっているかと心配していた。何処に行って何をしておられたのか。世から離れて、人に姿を隠すのは、軽々しいことであることよ」といって、日頃から喉の通りがよくないのを、お膳を運ばせて、伴に食べながらお話になるのでございました。

「世間には似ていないが、今はさるべき地位によくご出世なされた。」このような様子をみるにつけても、めでたく優秀で、世にもうまく溶け込んでいるので、「たいへん嬉しい」と思し召しておられただけに、たいそう気を落としておいでになるのでございました。

見れども見れども、華やかで世に秀で、珍しく優雅であるのを微笑んでご覧になり、「右大臣様も日頃から落胆して、女君のご出産のしるしがあってから、貴方の心が離れたかに見えるのを、嘆いておられる。何故その様に、はたからなさるのか、他人の目には、無難に見えるように振る舞ったほうがよい」などと教え述べられて、右大臣宅へ帰宅をお勧めなりつつも、「生きている内は、朝夕のいつでもよいから顔を見せて欲しい」と涙ぐみなさるのでございました。

五十一 右大臣家の人々

右大臣には、四五日と言って置いたのですが、十日余りまで音信もなく留守にされていたので、見当がつかず心配で、大臣も物も食べずに煩っておいでになったので、女君は「私のせいで、こんなことになったのだわ」と愛らしく悲しんでおられたのでございます。

右大臣は「中納言はきめ濃やかに、世の中にたいそう気遣って生きる方なので、何を思われているのだろうか」と心配されていたのですが、宮の宰相は「これはよい機会」と、想い焦がれた気持ちで、気弱な左衛門の手引きで女君と夜な夜なを過ごすのでございました。

女君は心の底では気がかりと思いつつ、「これがまことに深き恋なのでしょう」と思われて行くのでございました。

浅からぬあはれを感じて身を任せ、お腹も少し膨らみかけているまま乱れている女君の様子を、宮の宰相は愛しくてならず、惑乱しているのも、もののことわりであると申すべきでございましょうか。

少納言の帰宅を知ると、右大臣は「そうか、帰られたか」と長閑に臨むことなく、掃除(お浄め)までやかましく注意し、「侍女たち、鮮やかな服を着て、化粧をしなさい」と命令し、姫君にも「どうして臥したままでいるのですか」と起こして、色々とつくろいをさせて、起こし座らせになるのでございました。

中納言が帰り女君の部屋に入られました。右大臣は遠目で眺めておられましたが、容貌は今少し綺麗になった気がして、花々と愛嬌は辺りにこぼれるようで、長閑に女君に寄って「しばらく、知っている山里で見たい書物などがあり、つい読んでいる内にあったという間に日時が過ぎ、使いを右大臣家を送りましたが特に心配してる様子はないとのことで、つい時を過ごしてしまい、気まずい思いで帰って参りました」と申し上げましたが、女君は返事のしようがなく、横を向いており、顔を隠す様にしてご返事はなかったのでございます。

中納言は「そうですか、お気持ちが疎ましくなってしまわれたようですね。久し振りに帰ってきたので、ご愛想がよくなると思っておりましが」と横目でご覧になって、特に恨みがましきも様子もなく、ただ物思いが深まった風情でおられるので、女君にはもの足りない気がなさるのでございました。

五十三 背を向けあって

女君の袖口、裾のはしまで、上品かつ優美であり、しなやかでもあり、御髪(ミグシ)はふさふさとして、袿(ウチキ内に着る単衣)の裾に流れていく末など、絵に描いても表しきれないようなお姿でございました。限りなく愛らしいご様子は、何度見ても飽きない心地がするのですが、少納言が言葉はうまくつくろっても、四の君がなかなか慣れ親しくなれないのを、殿はたいそう無念で胸が痛みそうになるのですが、「この様に並んでみると素晴らしい。他の男では見劣りがする」と未練がましくご覧になられるのでございました。

かつては、女君は臥していても、親しくしんみりと語り合い、約束をしつつ、中納言に深い愛情を示されていたのですが、それにひきかえ、今では余り親しみを示されなくなったのも、妊娠以来のもののことわりで、中納言自身が、はずかしく気が引けるのでございました。

また、二人の心に隔てがないとはいえなくなり、「中は疎く」というようになってしまったのですが、「男女の真(マコト)ではない契りを、浅はかと思われている」という道理を恨んでも仕方がないので、中納言自身がおかしいことを思い知らされるのでございました。

鏡で映る自分の姿を恨むにしても、「おっとりとした上品な女であれば、ただ親愛感を込めたしみじみとした語らいこそ、深く心に刻まれるであろうが、自分より深く想う男がいるのなら」と思うと情けないのですが、そのまま言葉を出して言っても詮無(センナ)きことで、「よいよい、このままで」と所詮この世を仮そめのものと思っているから、辛いことも辛くもないと諦めていたのでございました。



第一巻春の巻を終わります



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