夏の巻 第三章 中納言妊娠

六十六 身を去らぬ影

宰相ノ中将は、内裏(ダイリ)でもいづこでも、身を去らぬ影のように一緒なのですが、まことの心身の行くばかりの逢瀬はかたく避けていたのでございます。

大方は、親しく語り合い、逢い見て契りを交わして以来、それなりに靡きながら、関係が離れると、出逢いを心やすく認めず、冷たくもてなすので、宰相ノ中将の不満が溜まると、「想っておられる四の君にも逢ってあげて下さい」などと勧めて、自分は知らない振りをして、しかるべき用を作り出して対処するのでございました。

なるほど世にもまれで、あはれで愛情深き関係ですが、これが世の常識とは思えないのですが、中納言に半分以上任せている宰相ノ中将は、これがいつものことに思えるようになってしまったのでございます。

宰相の君が心弱く求めても、中納言は離れてしまうので、様々な悩みが起こってつれないのですが、逢うことの出来ないことの慰めに、本当は他の女を求める心地にもなれないのでございました。

四の君との関係は、紛らわすばかりの和みなのですが、あはれに懐かしく、今は周囲の人目を気にするだけで、中納言への気遣いはいらないので、以前よりも数多くほのめくので、四の君も見馴れたる心地がして、たいそう靡いてあはれであるのでございました。

中納言はこの情景はすべて認めており、見聞きして知っているのですが、「不可解なことだが」とおかしく世間に珍しいことなので、泣けて来てしまうのでございました。

今も女君のしていることは、全く知らない振りをしているのですが、「命もいつまでか」と思うので、女君とは相変わらず懐かしく語らうのでございました。

六十七 六条わたりの家

例の月ごと起こることで、中納言は乳母(メノト)の六条辺りの家に隠れていたのですが、宰相の君が訪ねて来たのでございます。

間近の柴垣の元に隠れていると、時雨(シグレ)で雨交じりの天候でありましたが、夕べの空の景色が味わい深いので簾を上げて、衣装は紅の薄色の唐綾(カラアヤ)を重ねて、常より隈なく花々と見えて、頬杖(ホオヅエ)をついていたのですが、その腕なども物を磨いた様で、涙をぬぐい、

時雨する 夕べの空の 景色にも

 劣らず濡れる わが袂かな

(時雨で夕べの空は雨がちですが、それに劣らず悲しみの涙で濡れる服の袖であることよ。)

まして宰相の君は心が極まって、ふと寄りそうように、

かきくらし 涙時雨に そぼちつつ

 たずねざりせば あひ見ましやは

(貴女が恋しくて、涙を流すように時雨にあたってやって来ました。もし尋ねてこなければ、こうして貴女に逢えることもなかったでしょう。)

思いかけず驚いているのですが、まことにあはれな仕草なので、

身一つに しぐるる空と 眺めつつ

 待つとはいはで 袖ぞ濡れぬる

(身一つで時雨の空を眺めていましたが、貴方を待っているとは思わなくても、涙で袖を濡らしていました。)


宰相ノ中将は、姿を知られないように隠れ、一人で眺めて、その孤独をかみしめている中納言の冷たさを責めることは出来ず、「このように冷たいお心なら、まろは一人では生きてゆくことが出来ないではないですか、と巧みに言い尽くし、たいそう心安き場所なので、抱き合いながら横になり、何度も泣いたり笑ったりしながら、いいつくす言葉は書き尽くせないほどあったのでございます。

明けるのも忘れて、伴に起きていながら見ていると、近づく必要もないほどに、あざやかにもてなし、健やかなところは若干男っぽいのですが、乱れてきて靡びいてうち溶けたもてなしは、すべてふくよかで、愛らしくあはれで、可愛い様子は限りがないのでございました。

四の君とは、不足になった時に和み、うち溶けるのですが、世の常と変わりないのですが、まことに自分も相手とも和んでいる方は、ひきかえひきかえ、匂いやかにうち靡き、戯れたりしながら、親しみ深く柔らかく、うち溶けたもてなしは、言葉では説明出来ないほどで、「この人を世間に出して、人に見せるのはもったいないことだ」と一重に家庭に置いて愛し合い、自分だけのものにしたい」と思われるのでした。

「日頃は例の男の有様でみるのですが、この様に見ると、深窓の姫君よりもはるかに素敵ですよ。元の姿が如何に素晴らしいかの証拠ではないですか。今はお忍びで女の姿でお過ごし下さい。このように女のままに拝見することは、ほとんどないことなので、たいそう寂しいことです。昔よりこの様な仲であれば、不都合なことは改めるのが常識です。貴女の為にも、怪しい姿はよした方がよいと思います」といって、中納言を我がものとみなして、起き臥しつつ語るのも、当然のことでございましょう。

しかし、本当に女の姿に戻り家庭に籠もることは、宮中に出仕していることもあり、にわかには出来ないことであるといえるのでございました。

宰相ノ中将の願いも自己中心的で楽天的すぎることでもございました。

六十八 右大臣家の嘆き

例の籠もる日数が多くなるに従い、中納言は「右大臣の大殿が如何に嘆かれているだろうか」と思いやられるので、手紙を書いて出すことにしたのでございました。

「例の状態がよくないので、このように籠もっております。如何なる身になるかと心細くしております。

ありながら ある甲斐もなき 身なれども

 別れはてなむ ほどぞ悲しき

(生きていても何の甲斐もない身ですが、全てのものに別れてしまうことを想像すると悲しくてなりません。)

と書いたのですが、右大臣家では「どんな御病気も私たちに任せるのが常識である。時々行くへも知らせずお籠もりになるのは、今後どのような仲になるのであろうか」と大殿が嘆き、侍女たちもささやきあっている景色が見えるのでございました。

四の君は、心一つに我が身の行いを思えば、身のみ辛く恥ずかしく、このように心を痛めている父君はいとしく、また宰相ノ中将も、以前のようには相手をしてくれないので、あれこれ物思いをしている時に、この手紙が届いたので、殿もさすがにご心配なので、まず開けてご覧になると、「由々しきことを仰るものだ」と辛さも忘れて涙をおこぼしになるのでございました。

大殿は「なぜこのように、知らぬ間に重くなられたのか。お人柄が末世には優れすぎて、手紙では思い詰めておられるのが不吉だが、筆遣いなどは真似が出来る技ではないほどだ」と返す返すご覧になるのでございました。

「ご返事をあはれと思われるように」と父君から告げられると、四の君はたいそう気持も臆してしまうのですが、

憂きことに かばかりいとふ わが身だに

 消えもやらでぞ 今日まで経(フ)る


(つらいことを これだけいとう私でさへ、消え去ることもなく、今日まで耐えて生きて来ました・・・。)

四の君がたいそう巧みに書いておられるので、たいしたことではないので、中納言が「宰相ノ君に見せなくても」と思って閉じようとすると、「四の君からだろう」といって、無理に奪い取って見るので、中納言は一瞬胸が高鳴ってしまうのでございました。

ところが宰相ノ君は、見ると顔色が変わり、目立つほど顔色は深刻になっていくので、中納言は「この様な人を頼んで、女姿になって家に籠もっても・・・」などと頼もしげなく思ってしまうのですが、宰相ノ君は「千代の命」が延びる心地がして、一方的に起き臥し遊び戯れて、あの世まで契り語るのでございました。

余り日数が多くなったので、出発しようとすると、「また離れてしまえば、冷たい態度になるのでは」と言い返して恨むのですが、そういう訳にはいかないので、巧みになだめて送り出し、中納言も所々へ出かけて行くのでございました。

六十九 中納言妊娠

こうしているうちに、十月頃となり乳母(メノト)の里に籠もることもなくなったのですが、体調もよくはなく、まさか妊娠したとも思いも寄らず、「どうしたんだろう」と心細く起き臥していたのでございます。

この状態は隠れる必要もないので、婿に入った右大臣邸におられたのでございます。女君(四の君)が上品で可愛い顔をして、中納言の様子がよくないので、万事忘れて離れることもなく心配して看て下さるのが、たいそうあはれなので、中納言は、「いずれ姿を消してしまうので、思い出にして下されば」と思って、心に留めてあはれに語り合っていたのを、父右大臣が嬉しく思われて、病気快癒のご祈祷をするように段取りをしながら、心配なさって下さるのでございました。

女君もまた妊娠なさり、余りにもつづけ様なので、「きまりがよくない」と思われて誰にも、そのことを話さないでいるのでございました。

何れの方にも気を遣っていた宮の宰相は、中納言が珍しく籠もっているので、少しの慰めも人目が多いので、手紙を心行くばかりに書くことも出来ず、仕方なく思い嘆いている内に十二月になってしまったのでございます。

臥して沈み込み、ひどく容態がよくないわけではないので、実家の父君のところには、絶えず参っておられたのですが、物も食べる気がなく、やつれてしまい、橘(タチバナ)や柑子(コウジ)の果物も食べる気がせず、吐き戻したりするので、大殿も祈祷の手配などもしていたのですが、中納言は、「女君の時もそうだった。ついに妊娠したのだ」と合点がいったので、いうことが出来ないほど憂鬱になり、今こそはかなくも行方を消してしまう時が来たと思われるのでございました。

心一つにしてもどうしようもない。さりとて「妊娠しました」と、人に相談することも容易ではない。親も心から心配してくれるのですが、恥ずかしくて言えそうにもないのでございました。

七十 喜ぶ人悲しむ人

やはり宰相ノ中将に相談して伴に対処を考るべきだろうか。逢い見た恋を重ねるままに想いがつのり、忍びかねて、人目を避けることが出来なくなってしまった。怪しい我が身の契りを思うにつけても、宰相ノ中将をなくしては考えられないので、六条辺りの乳母(メノト)の里で逢うことにするのでございました。

男の姿で気づかれないように配慮して、「この様な大変なことになった事を悩みつづけている内に、月を重ねることになりまして、契りも疎ましく思っております」といいだしますと、宰相ノ中将は「世間体には珍しいことですが、男女の仲を考えれば仕方のないことです」と申し上げると、たいそう浅からぬ契りを涙ながら述べるのでございました。

宰相ノ中将は、「かかることになってしまったということは、初めにも申しましたように、産霊神(ムスブノカミ)の契りを違えないようにすべきです。このような姿では誰が見てもおかしいでしょう。若い時は内裏(ダイリ)でいつも逢えますが、大人の上達部(カンダチメ)になれば、特別のことがなければ逢うことも出来ません。里でも互いに逢うことは人目もあるので気楽には逢えなくなります。この様に逢いたいと思っても、余り思い通りにはならなくなります。かかる時にこそ、今までの身をないものにして、申し上げる様になさいませ。このような姿ではどうにもならないでしょう。ただ決断するほかありません」と説得されるのでございました。

そのようなことになれば、今は世間体を保っていても、女であることが露見して「今は邸内に籠もっています」と人に知られる訳にはいかず、殿や母上に知られないようにして閉じこもり、大変なお嘆きを与えかねず、いとおしく思わざるを得ないのでございました。

「世にないような身を思い知るようになる頃より、世になくてもよいならそれでもよいと思う心は深くなりながら、殿や母上のことを思うばかりに、今まで世に長らえて、怪しき有様を貴方に知られてしまって、我が身の始末も出来なくなってしまったことを、とたいそう愁(ウレ)い思ってしまいます」といっても、花々と愛嬌があり可愛い容貌に、迷いがあり物思いをしている様子は少しも感じられないのでございました。

されども、袖に顔を押し当てて泣き入りなさるので、普通ではない男姿であることがおかしく呆れてしまうのですが、よく見ると、七八尺(2m以上)の髪を引き垂れて、その道で美人といわれている女もなかなか太刀打ち出来ないほどでございます。

世の様は違いますが、美しくあはれな人柄なので、宰相ノ中将は、「お悩みは分かりますが、すべてこれはしかるべき運命なのです。余りお考えなさいますな」と泣きつつなだめて、今日明日にでも、この男姿を改めて籠もってしまわれるのを説かれるのでございました。

いずれこの姿ではいられなくなるので、「そのような姿に戻らなければいけない」と思われるのですが、交わり慣れた世の思い出も多く、あはれであることのみが胸中にあるので、中納言が涙を流し、言葉を尽くして名残を惜しんだので、宰相ノ中将は、「これは本当に決心をしたらしい」と思うのでございました。

七十一 それぞれの思い

宰相ノ中将は、中納言と離れたので、熱烈な手紙を書きつつも一筋ではないのでございました。中納言に様子を見せたり見せなかったりしながら、裏がないわけではなく、四の君に忍び込んだりして、中納言は「今度も妊娠させたりして、かくも深くなる契りに、深い因縁があるのではないか」と思うのだけではなく、「宰相の君が一筋であっても、これだけの我が身の名声・官位を捨てて深き山に隠もるのなら、あの世に永遠の希望があるので、この世を諦めても悔しくはない」と思われるのでございました。

さらに、「宰相の君は、人柄が良く純情で人より優れているが、これだけの人に身を任せて邸内に入る契りは物足りないのではないか。まして、宰相の君の心は極めて頼りがいがなく、余りに感情に走り過ぎて、相当な女好きであり、今はあの人のものになり平和な日常に見馴れても、浮気をされて薄情なところを見せつけられた時はどれほど悔しく、物笑いの種になるだろうか。」などと思案しているのでございました。

「宰相ノ中将の誘いに従うことにも、やはり気が進まない。宰相の君と籠もるのなら、世間に恥をさらすべきではなく、我が身は世間から消えてしまうだろう」と思うと、親たちをみるのも悲しく、内裏に出仕するのもあはれで、「もう一月か二月しか行けない」と思えば、吹く風にのように悲しく、心細いこと限りがないと思われるのでございました。

宰相ノ中将は、このように中納言が一人で思う心は知らず、「今は自分のものになり、もうすぐ邸宅に籠もる」と思っているので、たいそう迷っていた心も楽になり、四の君がまたもや妊娠したことを気にしているように思えるのでございました。

四の君がいつも悩んでいることと、自分の置かれた様子や愛する人の恨みを口にしないで、嘆くように、宰相ノ中将に手紙を書いたのでございました。

さまざまに 契り知らるる 身の憂さに

 いとどつらさを 結びかためそ

(様々な契りのはざまで悩んでいます。もうこれ以上悩むことがないように、将来をお約束して下さい。)

「冬の夜更けに寝ていると寂しくてしようがありません」などといい添えている様子も含めて、上品でたいそう純真であはれであり、もとより恋して心のしみた方なので、たぐいなく可愛いので、「中納言が籠もってくれたら、四の君も何とかしてかくまい、面倒をみよう」と思うと、胸が高まり嬉しくて、右左の袖が濡れるような気になるのでございました。

「つらい」とまで想いを寄せられると我が身も不甲斐なければ、何となくそそられて通っているのを、中納言は、「やはりそうだった。あれだけ真剣な想いを語ってくれたのに、他の女がどうこうしても、気が変わるのがおかしい。多分相手の女の深い情けが宰相の君にまとわりついているのだろう」と思う嫉妬心もあるのですが、そのままいうのも大人げなくて、忍びつつ知らぬ顔をしているのでございます。余りに嘆かわしいので、気分も良くなるはずもないのでございました。





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