秋の巻 第八章右大将出現

百二十四 新右大将の参内

右大将の左大臣邸に帰宅したことを帝がお聞きになり、出家などせず今までこの世に生きていたことを、限りなくお喜びになり、宮中にお召しがあり参内(サンダイ)申し上げたのございました。

盛装をして内に入ると、召使いたちが喜び騒ぐので驚きになるのでございました。長年なじんだ御前(ゴゼン貴人の先導役)や御随身(ミズイシン貴人の供人)などは、心配で闇に迷ったような心地がしていたのですが、右大将を見ると例えようもないほど嬉しく、涙を流す者もいたのでございました。

平静に心を落ち着けて、内裏(ダイリ)に参り衛士(エジ帝を守る兵隊)の詰め所に入ると全てが珍しくご覧になるのでございました。帝の御前に参上すると、帝はじっとご覧になり、久し振りの対面で、いっそう立派になった心地がして、より高貴になったような匂いをお感じになるのでございました。

帝は、「この人が出家をして身を隠してしまうところだったのだ。もしそんなことになれば、どれだけの人が嘆いたであろうか」と見守りながら、涙さへこぼされたのでございました。

雲の上も 闇にくれたる 心地して

 光も見へず たどりあいつる

(雲の上(宮中)も闇に包まれた心地がして、光も見えなくて満足に人にも会えなかった。)

と仰るので、かしこまって、

月のすむ 雲の上のみ 恋しくて

 谷には影も 隠しやられず

(帝のおられる宮中ばかりが恋しくて、人目につかない谷に身を隠しつづけることは出来ませんでした。)

と奏上される様子を帝がご覧になって、「そうはいっても、いっそう凜々(リリ)しく際だっているところが備わって来ているようだ」と目もくらむような思いで(帝はたいへん右大将を好んでおられた。それは右大将とそっくりな尚侍への愛につながっていた)ご覧になっているのでございました。

百二十五 東宮の御前で

新右大将(元尚侍)が東宮にお参りすると、右大将が座るのは、御簾(ミス)の外の遠い場所だったのでございました。宣旨の君(女東宮に仕えている女官)がおいでになり、たいへん懐かしく申し上げるには、「尚侍(ナイシノカミ)のご体調は、まだ芳しくありませんか。女一宮様の体調もおかしく見えることが多く、よくなったら参上して下さい。宮様は妙に苦しい様子をなさる時があるので、ぜひ参上するようにお奨め下さい」と申し上げるのでございました。

右大将(元尚侍)は胸が痛む思いがしておられたのでございました。

朝夕に馴れ親しみ申し上げていたのでございますが、今はこのように雲井の如く隔たってしまっていたのでございます。あの頃から(元尚侍との間で妊娠していたので)ひどく苦しんだり、体調不良で乱れていたりしていたのでございますが、ふと思い出すと、隠すことが出来ず涙がこぼれてしまい、むやみにみっともない心地がしてしまうのでございました。

言葉少ないままに立ち上がっても、東宮の御前の方ばかり気になって、

返しても くり返しても 恋しきは

 君に見馴れし 倭文(しづ)の苧環(をだまき)

(返してもくり返しても恋しいのは、糸巻で古い布を織っている貴女の懐かしい姿です。)

百二十六 帰宅

(新)右大将が実家へ帰ってみると、(新)尚侍(ナイシノカミ)の君は、御几帳(ミキチョウ)の前に添い臥して、のどかに眺めておられるのでございますが、思い出す事もおありで、今ちょうど涙を押しぬぐいになった様子が美しく匂うようでございました。

起き上がり、「内裏(ダイリ)や東宮はいかがでございましたか」と心配そうにご覧になっておられるのでございました。内裏の辺りの事などを語り合うと、「確かにそうでした」と思い出されて、もののあはれをお感じになるのでございました。

(新)右大将は、右大臣家の四の君のご様子が見過ごしがたく思われて、なるべくお逢いしたいと思われているのですが、権中納言が熱心にお世話申し上げ、見馴れておられるのが、気に入らずご不満なようですが、(新)右大将自身も、四の君だけではなく、東宮の女一宮をお慕い申し上げているのでございました。

吉野の宮の姉君を実家の左大臣邸にお呼びして、四の君と併せて妻としてお世話したいと考えておられたので、四の君のご様子を(新)尚侍によくお聞きして、そうした上で文をお書きになったのでございます。「ご無沙汰してお詫びの尽くしようがないのですが、そちらの方でも自然とお聞きになっているのではないかと思います。

目並べば 忘れやしにし 誰ゆゑに

 背きも果てず 出でし山路ぞ

(権中納言様と比較して、まろをお忘れになったのではないでしょうか。四の君様をどうしても諦めることが出来ず、世を捨てることをやめて、吉野山から京に帰って来たのでございます。)

と申し上げたのでございました。


百二十七 右大臣家の人々

右大臣には「右大将が京にお戻りになった」と耳にされて、「どうなさったのか」と聞き惑われて、「ひたすら娘に背かれて、世をお捨てになるお心がおありと受け取っていたのだが、京にお戻りになったと聞いているが、娘には何の消息もなく、どうしておられるのだ」と思われるのでございました。

右大臣は胸がつぶれる思いをなさっていたが、右大将から文が来て、涙を落としつつ、「娘が初婚の人に捨てられたということこそ恥ずかしいことはない。それのみならず、聞きにくい事さへあって、世間から疎まれている。どういう心かと思うが、文が来たのでお心は分からぬが、返事を申し上げなさい」とおすすめになるのでございました。

四の君は、「信じられないこと」と思い心がすすまないのですが、それだけではいけないと思われるのでもございました。また、「右大将様のお心に反しても」と思うと気兼ねがするのですが、


今はとて 思ひ捨てつと 見えしより

 あるにもあらず 消えつつぞ経る(フル)

(今は捨てられたと思うことしか出来ません。あってもなきがごとしで、身も心も消えてしまいそうです。)

気品があり心がこもっていて、右大将は奥ゆかしさが心にとまり、尚侍(元右大将)にお見せになると、「容貌、様子はたいそう美しい方でございました」と筆跡などもよくご存じで、あはれに思い出されるのでございました。

恋の道の不可思議さを、右大将も尚侍(ナイシノカミ元右大将)もそれぞれ離れない契りと思われるのでございました。

百二十八 新右大将と四の君


新右大将は、東宮の女一宮を気がかりであはれに思われていたのでございます。吉野の宮の姉君を思い遣りながら、右大臣家の四の君も見なくてはおられない心地がして、「今日の暮れにお会いしよう」と思われていたのでございます。


右大臣も、「もし(新)右大将様が立ち寄られるかも知れない」と、自ら立って準備をして、侍女たちにも衣服を改めさせていたりしていたのでございます。

四の君は、出産の時も権中納言に打ち解けて見馴れていたのに、今度は右大将にと、人々からいわれるのも恥ずかしく、右大将とは数ヶ月の隔てがあるので、「昔朝夕見馴れた頃から、ご立派であったのに、出産後の疲れた姿をお見せしたくない。もし立ち寄られたら・・・」と気が気ではなく、泣かれていたのでございました。

御髪(ミグシ)を整え、得も言われないような衣に香をたきしめて、父君自らお世話なさるのもあはれで、四の君が「どうしよう」と胸が潰れるように思っていると、新右大将が馴れた処でもないような様子で、お忍びでいらっしゃる様子は、限りなくすばらしいのでございました。

ほのかな火影に、麗しく歩んでこられるのは、昔の右大将と少しも違うところはないのでございました、昔と変わらぬ様子を、まるで夢のように拝見して、侍女たちも涙ぐんでおりました。

言葉少なに「何処に」など仰ると、四の君がすぐには動かないので、右大臣が情けなく思って、「出てきなさい、そうしないと失礼になりますぞ」と仰ると、ゆっくりとお姿を現されたのでございました。

四の君は、もう逢える人とは思わず、嘆かわしく出て行かれたのを思い出すと、現実のこととは思えなかったのでございました。


新右大将は、四の君が涙を流している気配、手つきなど気品があり、姿も良くてあはれなので、「まことに美しい人だ」とたいそう気に入られたのでございました。

新右大将は、「貴女に嫌われている宿命を思いつつ、貴女への恨みを通そうと、吉野の峰の奥深く尋ねていきましたが、寂しさも忍びがたく、幼い子のこともあはれで、人聞きも悪く引き返して来ましたが、皆様に大変なご迷惑をかけて、罪つくりなことをしてしまいました。貴女様はご無事だとお聞きして安心しております」などと細かに、何気ない顔で仰せになるので、別人とは思いもよらなかったのでございました。

四の君は答えぬままに


世を憂しと 背くにはあらで 吉野山

 松の末吹く ほどとこそ聞け

(世を背いたのではなく、吉野山の風のように、貴方の気を引く女性がいたのだと聞いていますよ)

と和歌をお詠みになったので、新右大将は「本当にこの様にいわれても仕方がない」と、憎まず微笑んで、


その末を 待つもことわり 松山に 

 今はと解けて 波は寄せずや

(その末を待ってみれば分かります。今はその気はなくて、何の影響もありません。)

四の君は、「人の弱みをついて、
つまらないことを言ってしまった」と汗も流れるくらい、気にしておられるのでございました

百二十九 四の君の不審

元の右大将は、たいそう親しみがあり、あはれに語り合って過ごしていたので、四の君は今も変わることがないと思っていたのですが、予想もしないような右大将の積極的な態度に、初体験の頃よりもかえって恥ずかしい思いをしてるようで、騒ぐほどのことでもないのですが、吐息を漏らして乱れていることが多いので、「どうもおかしい」となんとなく思われるのでございました。

権中納言から受けた習慣がまだ解消しているわけではないのですが、新右大将は、いいかげんにして出来ることではなく、四の君を愛していることに関しては誰にも劣らないと思っておられたのでございます。ふと吉野山の峰の雪に埋もれておられる姉君のことも、心に留めておられるのでございました。

尚日中はハッキリ見えるので、新右大将は夜にお通いになるのでございました。元右大将(女)は、乱れて語り合ったりするときでも、柔らかで親しみがあったのでございましたが、新右大将は男性的ではきはきされているので、四の君は、「どうも昔と違うようだ」と返す返す思われるので、

見しままの ありしそれとも 覚えぬは

 我が身やあらぬ 人や変れる

(昔見たままの態度が、そのままでは思えないので、私が変わったのでしょうか、それとも貴方が変わったのでしょうか。)

と、ため息をもらされるので、「不審に思われることもあるだろう」と道理に思われたので、

一つにも あらぬ心の 乱れてや

 ありしそれにも あらずとは思ふ

(私一人のみを愛してはいない心の乱れで、昔のままでも、違うように思われるのではないでしょうか)

と、昔の右大将のように似ているようにいわれるので、余計に分からなくなるのでございました。


百三十 権中納言の上京

権中納言は、はかなく日々が過ぎ、月日が重なるままに、幼い若君がたいそう可愛く成長して、ようやく起き上がりするほどになるのを片時も目を離さずご覧になっていたのでございます。

権中納言は「いいようがないほど可愛く、気品があり、あはれと思わせる幼い若君を元右大将は思い放つことなく、抱いて離さなかったのに、何処でどんな様になって、見ず知らずになり隠れておられるのか」と思われ、夜昼とも止まることのない涙で、紅の色に涙が見えて、「命も尽きる定めではないのか」と思いつづけて過ごしていたのでございました。

「右大将様は、尋ねて居場所が分かったそうです。今では内裏(ダイリ)などにもお参りなさっているそうです」という人があるのを聞き、その驚きは今まであり得ないほど大きかったのでございました。

「この世間においでになっていたのだ」と思うと命が救われたような気がするのですが、「意外なことだ。男姿に慣れた人であったので、女姿にになったのは子供を産むためだったのか。やっと本来の女姿に戻ったのに、また男姿になって出てこられたのか。たいそう珍しい人だ」と思われていたのでございました。

「どうしたらよいのか、時機のよいときを待って少しでもよいから見てみたい、そしてどんな様子かも知りたい」そこでやっと思い立って、幼い若君を連れて、京にある式部ノ卿ノ宮まで出て来られたのでございました。

「陣地で公事(クジ)の会議がある時には必ず来られるだろう」と推測して参ると、思った通りに、先に華やかな前触れがあり、おいでになったのでございました。たいそうりりしく、清らかな雰囲気がして、物静かで落ち着いており、目まいがする心地がしてしまうのでございました。

見守っていると、「いかに怪しいとこの中納言を思うだろう」と感じていると、我も顔色が変わるような気がして、なんとか冷静さを保って、「いつ物をいい寄り様子を見ようか」と目をつけていても、新右大将は、「権中納言はそのように思っているだろう」と心得て、立ち止まり物がいえるようなことは全くなかったのでございます。

殊に急いで出て行かれたので、「我を捨ててしまわれたのか。この幼い若君さへも・・・。こんなことがあるのか、何があったのか」と思うと、恨みと悲しみで、人目が気になるのですが、涙に暮れて退出なさったのでございました。

百三十一 宇治川の思い出

権中納言は、夜もずっと嘆き明かして、尚忍ぶ心地にもならないので、

見てもまた 袖の涙ぞ せきやらぬ

 身を宇治川に 沈み果てなで


(お会いしたのに、袖の涙は関がないほどで、身を宇治川に捨て果てることも出来ないままに・・・)

様々に書くことも出来ず、恨み尽くしているのを、新右大将はご覧になり、「昔の右大将と見ておられるようだ」と、仕方なく気の毒に思われて、新尚侍(ナイシノカミ)にお見せしたのでございます。

新尚侍(元右大将)は、「ありうるこであり、直接顔を見て話したいのであろうが、過去の人を恋することが愚かであるのだが、実際いかに残念に思っているだろうか」と、さすがに胸が騒ぎ、あはれであるのですが、「右大将は私ではない」と関わるつもりはもうとうないのでございました。

権中納言が、「この人は世間並みではない」とまだ思っているのは、仕方なく残念なことであるが、新右大将は、「尚侍様を軽はずみな方のように世間に申し上げたくない」と思っているので、「ただそう思わせて置けばいい。歌のご返事は、権中納言は機敏な人なので、誤解を受けないように、ご自分でお書き下さい」と尚侍にお勧めするので、たいそう可憐に、自分には本当の責任はないので、文の傍らに、

心から 浮かべる船を 恨みつつ

 身を宇治川に 日をも経(へ)しかな


(貴方と契りを交わしながら、他の女の処にばかり通い、心から恨んでおりました。身を宇治川の辺りに置き、毎日泣いておりました。)

とばかり添えて書かれたのでございました。

その筆跡は余りにも鮮やかなので、権中納言は、「尚ありがたい」とばかりに拝見して、道理(ことわり)は悲しいことだ。「我が心の怠りであった」と女に深く嫌われても仕方がないと思われるのでございました。

尚、思い余る心地がして、

いとどしき 嘆きぞまさる ことわりを

 思ふに尽きぬ 宇治の川船


(いよいよ嘆きがまさって来ます。私の心の怠りと、貴女とのことが忘れることの出来ない契りでした。)




これで、第八章 右大将出現を終わります。

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