冬の巻 第二章 帝と尚侍

百三十九 帝のかいま見

帝は、東宮の悩みもさることながら、昔からの思いを忘れることなく、尚侍の近くに添うことをたいそう望まれて、「東宮の御悩みにかこつけて、内裏の梨壺に渡らせて頂こう」と思し召しになったのでございます。

手紙などもお書かきにならず、静かな昼間に忍んでお渡りになったのでございました。御几帳(ミキチョウ)の背後に忍んでご覧になれば、東宮が白い衣を厚着して、御髪(ミグシ)ごと寝具をお被りになっていたのでございました。

尚侍はそれより少し引き下がって、薄い色の単衣を八枚ばかり着て、表は織物の衣でございました。少し似通った合わせの衣の袖口を長く引っ張って覆うようにして、東宮と添い寝をしているのでございました。

帝は、尚侍(ナイシノカミ)のお姿を、「たいそう可愛らしい女(ヒト)だ」とふとご覧になるのでございました。愛嬌は辺りにこぼれて、右大将を写したような顔なのですが、右大将は大人になるにつれ、気高く凜々しくなり似たものがないほどですが、尚侍は何となく微笑ましく、悲観的なもの思いを全く忘れてしまうような美しい様子は限りがないほどと思し召しになるのでございました。

この数年来、名高い顔(カンバセ)をゆかしく思っておられたのですが、未だに少しの機会もなく、長閑な気分になれないのでございました。

帝は、「今が縁を結ぶ最良の時なのではないか。このように全く不満のない人を、左大臣は宮仕えを遠慮して来たが、どうしようもなく無用の人とはかけ離れているとしか思えない」と思し召し、「今にも、そのように考えて里に引き籠めてしまうかもしれない」と危うく思うと落ち着かず、長閑に振る舞っている場合ではないと責められて、「今こそ行動に移すべきだ」とまで思し召してしまうのでございました。

心を冷静にして眺めると、白い紙に包まれた文が結ばれたままになっているので、女一宮の傍らにあるのを少し伸ばして取ろうとする手つき、顔を傾けるとこぼれかかる御髪(ミグシ)の艶やかさ、そして髪の下がっている末の目もしみるような美しさ、御髪の衣の裾に垂れかかっている様子は「たいそう長くはない」と推測されるのですが、丈ばかりがいいのでもないと思われて、特に思うほど短くもなく、内着の裾に八尺(2m40cm位)くらいある髪よりもより美しく見える、と思われるのでございました。

いつまでも立っておられると、中納言の君といって宣旨(セジ)の妹の侍女が参って、「帝がおいでになっておられるのですが、どのあたりにおられるのでしょうか」といって、のぞきつづ御几帳(ミキチョウ)を下ろしているので、帝は今来たばかりのように腰を下ろされたのでございました。

百四十 ありつるおもかげ

帝が渡ってこおられた時に、宣旨(セジ)の君(女性)こそ、御前に控えてご返事を申し上げる人なのですが、風邪をひいて下向していたので、御前に応じる人がいないので、帝は尚侍(ナイシノカミ)の面影が身を離れない心地がするので、声や気配をお聞きになりたくて、「尚侍の殿はここにおいでか」と仰せられたのございます。

申し上げる方がいなくて、少し遠慮がちになっていたので帝は、「東宮の事ですが、いつまでも病気をなさっているのは、如何なる状態なのか。院(院の一人娘が東宮)にはこのようだと申し上げているのか。ご祈祷はなさってないのか」と仰せられるのでございました。

申し上げる言葉もないのですが、いいかげんにすますことが出来ないので尚侍が、「そこそこの状態で数ヶ月もたってしまわれたのですが、この時期にまた好くない御様子が時々現れるので、物怪(モノノケ)のせいではないのかと思っております」と、頼りなく言い紛らわしてお答えするのでございました。

気配もただ右大将に意外なほど似ていて、幾千年も聞いても飽く事がないように聞こえるので、繰り返し問いかけなさるのでございました。

いつまでもいて、余り問うばかりしてもはしたなく、またむやみにいるのも怪しまれるので、「東宮のご病気がよくなる見込みがないのは由々しきことなので、ご祈祷などをされた方がよい」と仰り、出ていかれたのですが、尚侍の面影が身に離れない心地がなさるのでございました。

帝は、東宮とは特に親しいわけではないのですが、院とはご兄弟なので、院の事を疎かになさらないで、心を寄せて殊の外細やかに思し召しになるのでございました。

尚侍は、明け暮れに向かい合って、東宮と隔てなく話を申し上げて、琴を弾き笛を吹いて同じ心で遊ばれるのでございました。過ぎにし昔を思い出して、帳(トバリ)の内に埋もれて、遙かなる物超しに御声を聞いていたころが、夢のような気がしてあはれに思うのでございました。

雲の上も 月の光も 変はらぬに

 我が身一つぞ ありにしもあらぬ


(内裏も月の光も変わりがないのに、我が身一つは昔あったのとは違っている。)

その様に思われるのでございました。

百四十一 十二月(シワス)の恋

十二月(シワス)になってくれば、東宮の妊娠が「そろそろでは」と落ち着かないけれども、東宮に内裏から退出願っても、院の上が日頃の病気で心配なさってるので、お見舞いにおいでになるので、「もし妊娠しているのをご覧になれば」と気が引けるので、内裏で出産することにしたのは、例がないのですが仕方がないのでございました。

「神事などが重なっていないので、たいしたことにはなるまい」と考えているのですが、東宮の様子が苦しげなので、尚侍と宣旨(セジ)、それに心の知れた侍女の二三人が御前に寄り添って、心もとなく明かして暮らしているのでございました。

右大将も今度は忍んで参り、病気にかこつけて宿直がちなのですが、東宮は、「今さらなによ、人がおかしいと咎めるだけだわ」と思し召しになるのでございました。

帝は、ありし日の尚侍の面影のみが身を離れない心地になられて、見ないでは我慢が出来ない御心なので、右大将が参ると例のように近くに召し寄せて、細やかな御話のついでに、例の尽きることのない尚侍の君の思いを仰せになるのでございました。

右大将は、尚侍について今は入内(ジュダイ)をしぶり逃れる必要はないのですが、父左大臣が初めから入内を固辞するように申し上げていたので、「尚侍は、人柄が慎み深く、見知らぬ人に対して特に気に使い緊張する習慣があったので、父左大臣がそれを苦にしていて、入内もお断りをしておりましたが、今はさすがに大人になり、もの想いをする年頃になっておりますので、父に帝の御心をよく申し上げて置きます」と奏上していると、帝はつくづくとご覧になるのでございました。

帝は、右大将のここが欠点だと思われるところもなく成長して、鮮明に清らかで麗しい容貌、様子を目になさると、違うところのない尚侍の面影がふと思い出されて、涙がこぼれる思いがして来るのでございました。

帝は気を紛らわせるようにして、「左大臣にも度々ほのめかして来たのだが、固辞して来るので、いいにくい事ではあるが、そなたに忍んで宣耀殿に導いてもらえぬか」と思し召しになるので、「そのように軽々しく為しては、上様に失礼である。しかるべく扱って華やかに入内(ジュダイ)させるのがよい」と思って、そのことはとやかく申し上げず、畏まって退出されたのでございます。

右大将は父君に、「帝からこのような思し召しがありましたが、今ははばかることはありません。かかる御気持ちのある時こそ、正式に入内させる機会です」と申し上げると、「そうかな、正式に入内させるとしても、今まで固辞して来たのに余りにも態度が変わりすぎておかしすぎる。同じ内裏にいるのだから、忍んでご覧なさって御志にお任せして、女御や妃になさるのが好ましい。繰り返し固辞してきたのに、如何なる変心かと世に思われる事は怪し過ぎる」と思し召しになるのでございました。

右大将は、権中納言の事なども気になるので、「今ここで入内することが絶好の機会だ」と思い、口惜しい気がしてならにのでございました。

百四二 東宮の出産

東宮はかねてより心配するほどでもなく、可愛い右大将にそっくりの顔をした若君を出産なさったのですが、しかるべき出産ではなかったので、宣旨(セジ)などは、あはれでかたじけなく奉るのですが、内裏でお育て申し上げることが出来ないので、忍んて尚侍の君の侍女が連れておいでになり、中納言の君が抱き(イダキ)奉り、左大臣邸に参り右大将が母上に秘密に預けなさったのでございます。

右大将は、あはれに嬉しくお思いになり、左大臣にも「かくしかじか」と申し上げると、驚いて乳母(メノト)など普通ではない人を選んで養い申し上げなさるのでございました。

世間にはただ、「忍んて通って出来た子だ」と取り繕っていたのでございます。

右大臣近辺では、されげなくていつ頃にこのようなお目出たがあったのか」と珍しげに思っておられたのでございます。

この頃は、右大臣邸に昼などはおいでにならず、夕暮れのまぎれに立ち寄り、明けると立ち去るのでございました。内裏の宿直(トノイ)以外には夜更かしすることもなかったのでございました。また吉野は遙かに遠いので、普通に通うことが出来ず、十月十一月などに四五日通っただけでございました。その後は近いうちに京に迎え申し上げるご準備などをなさっていたのでございました。

百四十三 帝の物思い

東宮は安産であったのですが、その後元気が回復せず意識がなくなったりして病状が思わしくないので、「院の上(父)に今一度お目にかかりたい。それから尼になろう」ということを時々仰せになり、心細い御様子なので、包み隠さず院に申し上げると、「それほど病状が好くないのを、今まで見舞いにも行けなかった。心安いところでご祈祷をするばかりである」と思われて、年内に院が引き取る旨を申し上げなさったのでございました。

帝は「これは」とお聞きになり、「尚侍(ナイシノカミ)も一緒に行くのではあるまいか」と思し召し、気が気ではない心地になり、恥を忍んで左大臣のところに訪ねになられたのでございました。

帝が、「東宮のご病状が好くないので、院がお引き取りになるようだが、尚侍も一緒に行かれるのか」と思し召せば、「はい、そのようになるでしょう。東宮に娘が参りました頃より、院より片時も離れないようにと思し召されております」と申し上げると、「そうかも知れないが、院が直接添ってお世話されるので、一緒に行っても用がないのではないか。院はお年はいっておられるが、いたってお元気な御様子である。そのようになさるのは、そちらには悪しからずと思えても、我を思い捨てることになり、道理が分かっておらず遺憾である。ここには女御(帝の女)、御息所(ミヤスンドコロ帝の子を持つ女)も置いてない。院に行ってもただの宮仕えに過ぎない。東宮が院に行っても、尚侍(帝の女になれる資格)は内裏で仕えて欲しい。東宮と一緒に院に行ってしまえば、内裏が一変に寂しくなってしまう。内裏に出仕する殿上人(テンジョウビト)は、そちらの女(ヒト)を品があり奥ゆかしいと思って集っている」と申し上げるのでございました。

左大臣が、「必ず東宮に添って行ってしまうのではございません。院が直接面倒が見られないので、その代わりに後見役になって欲しいという思し召しでございました。院で添う必要がなければ、里へ帰すべきだと思っております。まことに宮仕えもすることが出来る様になりましたので、来年の元日頃まで下がらせないで置いておきましょう」と申し上げたのでございました。

帝は、「たいそう嬉しい」と思し召しになり、「それでよい。昔断られたことは今は申すまい。未だに姫の一人もいないのが寂しく、その代わりにその方の姫に逢いたいと思っている。昔と同じ心だと思われることこそ残念だ」と仰せられると、涙ぐまれたので、左大臣は、「いいかげんに思っておられるのではない」と拝見して、たいそう嬉しく思われたのでございました。

左大臣はさらに、「度々ご厚意を頂き、やっと数年来の本意が叶う心地がして、限りなく喜びにたえません。かつてひどい内気で無用の人と思い捨てて、ご厚意に従うことが出来ませんでしたが、今はその方に捨てられることなく、この様に想って頂くことが申し訳なく、如何に有り難いか表わすことが出来ないほどでございます」といって涙をこぼして、喜ぶのでございました。

帝は、なおも左大臣が公式に女御や更衣として入内(ジュダイ)させようとしないので、「かいま見たが、そのような物慎みではなかった。娘が可愛すぎて、外に出して華やかにさせるのが嫌だったのだろう」と、なお怪しく思われるのでございました。

百四十四 東宮の退出

東宮は院の元に参られて、院の上はずっと付き添っておられるので、尚侍(ナイシノカミ)は謹んで内裏に留まっておられるのでございました。右大将はやるせない気がするのですが、今は宣旨(セジ)、中納言の君(侍女)とも知り合いになり、文などを忍んで東宮へ差し上げなさるのでございました。

院は、久しぶりなのに加えて、待ち遠しくなさっていたので、ずっと東宮と一緒におられるのでございました。そうしている内に、御病状も好くなって来たのでございました。ただ東宮が、「皇太子の位は本意ではありません。尼になり一筋に後生のために勤めをしとうございます」と院の上(父)に度々申し上げるのですが、院はそれを聞くとまだ若いのに惜しくて悲しくて、皇太子を退かせるのもいいにくく、代わりの皇太子がいないので、許すのを認めないのでございました。


百四十五 その後の権中納言

宮の中納言は、右大将(今の尚侍)が身に添う影のように思われて、「何か隙がないだろうか。言葉をかけてみたい」と、それより他の事のことを考えることなく機会をうかがっていたのでございます。昔は宮の権中納言と右大将とは仲が好かったのですが、左大臣家の四の君の情事で、二人の間はよそよそしくなったと世間では思われていたのでございます。

新右大将は、権中納言が近くに寄って恨み言をいわれると、上手く答えることが出来ない心地がするので、なるべくかけ離れるようにしているのですが、権中納言にとっては、それが妬ましく、どうしようもなく悲しくてしょうがないのでございました。

権中納言が、四の君に対しても昔の様に恨み言をいわないので、左衛門などは右大将が現れて夜は変わらず渡ってこられるので、「今は権中納言様が遠慮なさるのが当然」と思っているのでございました。

四の君も、右大将(元尚侍)と語らって過ごした昔でも、不本意な密通で世間から疎まれつらい目をしたのに、今はまして、ほんの少しでも隙があって新右大将に疑われるのは恥ずかしく、心がうっとうしくなるのを覚えて、一行のご返事も思いつかないのを、権中納言は少しも恨まないのは、「妙に大らかな態度をお取りのこと」と思われるのでございました。

百四十六 右大将の殿造り(トノヅクリ)

右大将は、年が改まろうとして来たので、「吉野山の宮の姫君をお迎え申し上げよう」と思われて、二条堀川辺りの三町の広さに築山(ツキヤマ)を巡らし、三棟四棟からなる邸宅をお造りになるのですが、たいそう素晴らしいのでございました。

本来は右大臣の女君(四の君)をお越しすべきであるのですが、権中納言との情事がありさしさわりを感じるので、表だってするにはどうかなとお思いになるのですが、人柄、ご様子を思うと紛らわすことは出来ないとお思いになるのでございます。

この上ないと思い申し上げる吉野山の宮の姫君は、由緒正しく、心深くて奥ゆかしく、品があり優雅で、気高ささへあるこの方は似るものがないほどだと思われるのでございます。

四の君のひとすじに純真で可愛いのは、「この人に似た人もおられないのではないか」と思われる程で、隔てる心もあるわけではないのですが、あの残念な情事を思い出すと、何のあはれも醒めてしまう心地がするのでございました。

東宮の御方(オンカタ)は、ただひたすらに高貴以外のなにものでもないのですが、「語らって申し上げたりすると、由緒があり気品のあるふうに御振る舞いにならないのだ」などと思われて、右大将自身の多情な心が恥ずかしくなってしまわれるのでございました。

百四十七 春鶯囀(シュンノウテン)

年が改まれば、内裏の辺りで華やかに宮廷の貴人が悩むことがないかのように、節会(セチエ)やなにやかやと行事が盛んに催されているにも関わらず、帝は月日がたっても、尚侍のありし日の面影が身に離れぬ心地がするのでございました。

思い侘びて帝は、行事も終わり長閑になった頃、お忍びで宣耀殿の辺りに佇み歩いておられたのでございます。箏の琴がほのかに聞こえて嬉しくなり、しばらく立ちどまって御聞きになれば、春鶯囀(シュンノウテン鶯のさえずり)という調べを二回ほどひいてやめてしまったのでございます。箏の音もただ右大将(元男装女子の右大将)にそっくりなので、「あはれな兄妹の仲だなあ」と思し召されたのでございます。

蔀(シトミ雨戸)などは下ろしているのに、妻戸(建物の四方にある戸)の鍵をかけてないので、風に吹かれて空いているのでうれしくて、そっとお入りになると、知り合いは誰もいないのですが、暗いところにおられると、女二人だけいて碁を打っているのでございました。

尚侍の君は、御几帳(ミキチョウ)の内で箏に寄り臥して、何とはなく掻き鳴らして、灯りをじっと眺めて、物思いに耽っているのでございます。帝はそれを見て、似る者がないほど愛しいので、同じ内裏の中にいながら他人と思って過ごして来たのですが、そうではなく身近に思われて仕方がないのでございました。

人に見られても、今宵はこのままでいる気がしないので、じれったく、「前にいる人も早く寝て欲しい」と思われるのでございました。

百四十八 この世の契り

尚侍の君は、様々と過ぎにし方を恋しく思われて、幼い若君と今は最後と別れた時を思いだし、「何心なく微笑んで、見合わせてたのに」など思われて、ひどく恋しく悲しいままに、

物をのみ 一方ならず 思うにも

 憂きはこの世の 契りなりけり

(物を深く思うにつけても、憂きものはこの世の運命であることよ)

と詠んで、ほろほろと涙がこぼれるので、恥ずかしいので布団をかぶって臥してしまわれたのでございます。

碁を打っていた侍女も、打ち終わって休んでしまいました。「夜具をお召しなさいませ」といって、灯火も遠くへやって、「あすこの妻戸はまだ鍵をかけていないわね」といって、こちらに来る侍女がいるので、帝は恐いのですが、暗いところにじっと隠れておられると、妻戸に鍵をかけて、「なんだか人の気配がするのは気のせいかしら」といって、すぐ部屋に入って皆寝てしまったのでございます。

見ていれば、御帳台(ミチョウダイ几帳で取り囲まれた台)の側には人はいないのでございました。

帝は、心安く尚侍に寄って衣を引いて添い寝をなさったのでございます。尚侍はまた寝入っていなかったので、「どうしたこと」と驚いてしまうのでございます。別人とは思わず、「権中納言が尋ねて来たのだ」と思うと腹立たしくて、衣をひきかぶって動かないでいると、衣を引いて、ずっと想って来た事、左大臣が固辞する恨めしさ、東宮の病気の時見初めた事などを泣く泣く語りつづけられるので、予想外にも帝であると分かったのでございました。

「違う人であった。権中納言であれば、ただもう鬱陶しく妬ましかったのだが。帝であれば、我が身が処女でない事が分かればどうなるだろうか」と却ってどがめられてしまい、さらに以前の奇妙な有様を悟られてしまえば、失望なさり御捨てになるかも知れないと却って恥ずかしく思ってしまうのでございました。

なお、この世を捨てて跡を絶えようと深く思っていたのですが、右大将と東宮のことを愁いて、道しるべ役に内裏にいつづけて、東宮が院に行かれた時に、里へ帰っていればよかったと思うのでございました。

父左大臣が、元日の過ぎまではこのまま内裏にいるようにお勧めになり、侍女も退出は寂しいことに思っていたので、「なんで急ぐ必要があろう。三月の臨時の祭りのごろまではよい。それが過ぎてから里へ退出しよう」などと、密かに思っていたことが、あきれるばかりで、とめども涙がこぼれてしまうのでございました。

帝が、「我が君よ、そのように思わないで下さい。これはなるべくした運命です。ただ、同じ心で思い合ってくれるのなら、決して貴女の為に、半端なことはしません」と申し上げる様は、言葉では言い尽くせないほどでございました。

男姿できっぱり振る舞っていても、権中納言に取り籠められては、逃れることが出来なかったのに、まして世の常の女が、「情けなく見えないように申し上げよう」と思っているのに何が出きるでございましょう。帝はのがれるすべもないほどに抱きしめようとなさるのに、どうしようもなく恥ずかしく、声を立ててもおかしくない様ではあるのですが、帝は人目を気にしてはおられず、声を聞いて寄り来る人がいても、驚くことのないご様子でございました。


百四九 後の逢瀬

はたから見るよりも、間近で見るのは格別で、これから後は昼の隔ても不愉快で、片時も離れたくないと思し召しなさるのですが、「いや、どうしたことだ」と処女ではないことが分かり、身劣りがするように思われたのでございます。

帝は、「左大臣が無理に取り合わず、固辞してきたのはこのせいだったのだ。相手は誰だったのか。さすがにこの事は表様に出来ないことなので、ひどい物恥を理由にしていたのだ」とお考えになるのでございました。

「それにしても、どうしたことなのか。誰が相手だったのか。この女(ヒト)を一目みたなら、いいかげんにする者などありえないはずである。左大臣がそのような様子を知りながら相手との結婚を許さなかったのは、身分の低い貴族だったのだろう」と、残念な気はするが、ひどい欠点とも何とも思ってはおられないのでございます。

帝は、見る姿の類いない美しさに、どんな罪も消えてしまう心地がして、泣く泣く来世まで契り頼みなさるのでございました。尚侍(ナイシノカミ)は、「あやしと思し召しておられる」と思うと、顔色には出さないけれども、どうしようもなく恥ずかしく、汗も涙も一つに流れる心地がするのでございました。

侍女たちが「怪し」と思うようになれば、帝もさすがに見苦しくなるので、去る前に後の契りを語りかける様は、まねることが出来ないほどでございました。

三瀬川 後の逢ふ瀬は 知らねども

 来る世をかねて 契りつるかな

(三途の川を渡って逢瀬が何処かまでは分かりませんが、この世だけではなく、来世も伴に添うことを約束したいものです)

帝が、「この世だけの契りでは浅い心地がするのですが、どう思われますか」と思し召しになると、ほろほろと流れる涙に、仰る言葉も分かりにくいのですが、「なお一言聞かないと、出て行くことが出来ません」とためらっておられるも当然なので、

行く末の 逢ふ瀬も知らず この世にて

 憂かりける身の 契りと思えば

(来世の逢瀬は分かりません。この世で既に不幸な契りがございましたので)

「御聞きになった声や様子を怪しと思し召しなさったことでしょう」と慎ましくて、絶え絶えに紛らわしている気配が、かえって愛嬌があり、また聞きたくなるような気がするのでございました。

片時も離れたくない心地がするのですが、身が別れるように思いながら、返す返す契り置いて、昨夜の妻戸の鍵を外して、お帰りになったのでございます。


百五十 右大将を召す

外では、中将の内侍(ナイシ)という人だけが御供をしておられました。御待ち申し上げておりましたが、明るくなり待ちわびてうつぶしていたのを起こして、清涼殿に御帰りになったのでございました。

そっと寝床に入られても、愛しい人の手当たり、気配は少しも身から離れないのでございました。「今も見ていたい」と涙がこぼれるのですが、文を伝える人もいないので、右大将をただ今参るように仰せられて、御待ちになっておられたのでございます。

あのように女性に隙のない権中納言でも、逢える恋も逢えない嘆きをもすべて忘れてしまうような相手であれば、それに匹敵する様な方とお逢いすることがなかった帝にとっては、耐えがたく思われるのは当然であると思われるのでございます。

右大将が参り御前に召すと、清らかな雰囲気に、こちらが恥ずかしくなりそうですが、大きく結んだ文を懐から取り出して、普通の手紙のようにして、「尚侍に申し上げたい事を、左大臣の許しがあった後に、つい今までになってしまったが、今日の良き日に差し上げて、ご返事を早速見せて頂きたい。普通の宮使いなどに渡したのでは、左大臣の耳に入らなければ返事を出しにくいので、わざわざお呼びしたのです」と思し召せば、右大将は賜りて退出したのでございました。

帝の表情に変わりがあるので、「もしかしたら、尚侍と御逢いなさったのでは」とばかりに思われたのでございました。

百五十一 尚侍への文

右大将が宣耀殿(センヨウデン)に行くと、「昨夜より体調がよくないと、お休みになっておられます」と、大納言の君という侍女がいうので驚いて、「大丈夫ですか、風邪でしょうか」など申し上げると、心配をかけるので起き上がって、「胸苦しくて押さえてもらっています」と話す顔もたいそう赤くて、「お泣きになった」と拝見するのでございました。

右大将は、「もしや、帝が近づきなさったのでは」と思い、この文の中身もひどく気になるので、尚侍に近づいて、「今朝帝が御前に御召しになり、この文を直接尚侍に渡し、すぐ返事を頂いて来て欲しいという旨を承りました」といって差し上げると、尚侍は人に知られないで済んだ事を心強く思っていたのに、「事情をお知りなのであろう」と、たいそう気が引けてしまうのでございます。

尚侍は、顔の置き場もないように思われ、若い女のように恥ずかしがることも出来ないので、顔を赤らめて文は取っても、広げないのでございます。

右大将が、「帝から必ず返事をもらって来るようにと仰せられたので、そうでないと面目が立ちません」と申し上げると、尚侍が微笑まれて、「人ごとのように仰るのですね。右大将に変装しているころに朝夕ご覧になっている筆跡ですから、賢い帝の目で見れば怪しまれるでしょう。それに父左大臣に知らせないでご返事をするのも気が引けます。ただ、確かに賜ったことは申し上げて下さい」と申されるのも仕方ないことなので、右大将は「ご返事ははばかっても、見ることぐらいはどうもないでしょう」とさりげなく申し上げると、尚侍は開けることに抵抗を感じて、顔を赤らめてしまったので、仕方なく帰ってしまわれたのでございました。

百五十二 帝の願い

帝は、「もしかしたら」と返事を御待ちであったのですが、空しかったので残念で、尚侍が愛しくて仕方がないのですが、しいてさりげなく振る舞われて、「世の常の恋愛のような様子でもないのに」と仰せながら、気が晴れなくて待ち遠しい気がつのるので、またも文をお書きになるのでございました。

右大将には、「昨夜は残りなく」とは仰せにならず、「ほのかに見た灯影(ホカゲ)の美しさは、未だかって見た事のないものであった。思いが身に離れない気がして、愛しくてしようがないのであるが、左大臣が許さないことを知っているので、尚侍と親しくするのも気が引けるのだが、このような気になったのは未だかってなかったので、これはしかるべき運命ではないかと思ってしまう。あなたに同じ心になってもらって、今夜の出逢いの導きをしてもらえないだろうか」と思し召しながら涙をこぼされるのでございました。

右大将は、「ただの垣間見だけでは、ここまで仰ることもないだろう。尚侍の様子も尋常ではなく、しかるべき仲までいった関係に違いない」と分かると、帝が限りなく尚侍に御心をお留めになったことを、この上なく嬉しく思うのでございました。

尚侍が正式に入内して、妃の位についても不足のない身なのに、平凡な形で帝の目に留まった事だけは残念に思われるのでございました。

百五十三 尚侍を召す

右大将は、「それでは、この文をお届け致しましょう」といって退出なさったのですが、隠すべきことでもないので、父左大臣に帝と尚侍(ナイシノカミ)とのご様子の変化や帝の仰せになることを申し上げなさったのでございます。

「やはり、そうであったか」と思し召し、つくづく嬉しく、今までは断る事ばかりしていただけに、限りなくお喜びなさるのでございました。

しかし、密かに侍女の装束、御帳台(ミチョウダイ)の帳(トバリ)や調度品まで、ますます改めておられたのでございます。今までは、尽くしても見初める人がいなかったのでございますが、今は様子が変わったので嬉しくてしょうがないのでございました。

帝の限りない恩寵に対して、人柄容貌など少しも劣ることがないので、妃の位まで頂いてもおかしくはないのですが、ただ一つ処女でなかったことが気になるのですが、「このことを知る人はいないし、公式に更衣や女御として参上したわけでもなく、宮仕えの尚侍をめとったのだから、心に任せて妃にしても何ら問題はない」と思し召して、隠す事なく、昼もお通いになり、夜は勤めてお上りになるのでございました。

他に気になる女もいないように大切になさるので、左大臣や奥方、右大将がお喜びになることは限りがないのでございました。




これで、第二章「帝と尚侍」を終わります。

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