秋の巻 第四章 右大将を求めて

九十七 吉野山へ


六月頃の夜更けに出た月のもと、乳母(メノト)の子たちで三人、その供人で疑問を持たぬ者たちや頼もしげな武士七八ほどでご出発なさったのでございました。

たいそう上品で邸から外に出られたことのない人が、軽々しく旅にふさわしい装束をつけて、出かけられるのを見送り申し上げる全ての人は仰天しているのでございました。前もって尚侍の命じるのを聞いたとおりにしていたので、事情を知る人は誰もいないのでございました。

この男君(尚侍)は出発して特に赴くあてもなかったので、乳母の子が、「右大将様は吉野山の宮様のもとに通われ、最後の住みかと考えておられました」と申せば、「大方の人が尋ね騒ぐところは、私がそうだといいにくいところかも知れない」と思われて、吉野を目指して行くことになったのでございました。

九十八 宇治の家

日盛りには、かなり暑くなりますが、宇治川を渡ってしまい、大きな木陰の川面(カワモ)に立ち寄って涼んでいると、川の近くに風雅な邸があり、近づいてみると、向こう側で読経の声がして、人の姿は見えないのでございます。「風雅な邸だなあ」と思って、小柴垣のもとに立ち寄ると、簾は巻き上げているので、「人がいたのだ」と驚かされてしまうのでございます。

庭を見ると、邸の前に遣水(ヤリミズ)が八方に流れて絵にかいたような庭で、適度に簾を巻き上げて、あざやかな色の几帳に、十四五才ほどの童女が二藍(薄紫色)の単衣を着て、紅色の袴をはき、袴を形よくふみやって、帯をゆったりと締めて、団扇であおいでいるようでございました。

几帳越しに透けて見える女主人も、紅色の単衣に同じ色の生絹(すずし)の袴をつけているようです。悩ましげな様子に伏したる顔の色合いは、華々と光るように匂って、額髪のこぼれかかる様子は絵にかいたようでございます。

たいそう愛嬌があり、可愛い顔と視線、「どこかで見たような人だ」と思っていると、右大将に覚えがあるのでした。物思う眺め、似るもののなく見える顔の美しさ、華やかさは右大将に似ているのでした。尚侍が男になっているのですから、右大将が女になっていても不思議ではないのでございました。

ふと立ち寄って、「どうして、ここにいるんですか」と問いたいけれども、さりとて知りがたく、いい加減なことで人に咎められることになるかも知れない。邸では人気を感じたのか、簾を下ろしてしまいました。口惜しさは限りないのでございました。

九十九 はかなきめぐりあい

男君(元尚侍)は、忍びかねて、「もしもしたら、私を尚侍かもしれないと思われたのではないだろうか」と思うので、「もっと見届けたい」と思って小柴垣の方まで歩いてみましたが、邸内にも、「あやしい人気がする」と思われて、簾を下ろして、顔を出して眺めると、限りなく清らかな若い男で、かなり身分の高い人ですが、妙に目を惹きつけられたのでございました。

女君が世に出て交際するようになり、位の高い人では見知らぬ人はいないのですが、その中の人ではないようだ。しかし、身分の低い者ではない。まろのかつての心の鏡にある姿を思い出すと、「尚侍の君と、これが最後であるという夕べに、互いに涙を流しながら不遇の身を思いやった時のお顔に似ているように思える」と、ふと思い出されるのですが、「その時のご様子とは違うようだ」と思ってしまったのでございました。

「世にそのような人がおられましたね」と目もくらむように思われるのですが、女君の前にいる女の童が、「殿(権中納言)こそ、世に類いなくすばらしいお方と思っておりましたが、あのような方もいらっしゃるのですね」と、たいそう早熟で、その方を見て驚き、奥にいる侍女を呼んでくると、「これは大変なこと、この世から失せて大騒ぎをしている右大将様ではございませんか」などと言っているのを聞いていた女君は、あはれでもあり可笑しくもあり、涙が出てきたので、奥に入ってしまわれたのでございました。

男君(元尚侍)はしばし留まっていましたが、「殿が女のいる様子を見せてはいけない」と命じられていたこともあり、誰もいなくなり、尋ねることも出来なくなり、がっかりして、「このお邸は誰のお邸でしょうか」とお聞きになると、「式部卿の宮の御領」と聞き、「これは煩わしくなる」とはばかり、何も尋ねることをしなかったのでございました。

他人であったとしても、知りたくもあり、心に残る面影は身に添っており、この辺りを過ぎがたく、夕べの風が吹いてくると、去りゆくことが口惜しく、あの面影に、「世にあれば、あのような人と出逢ってみたい。東宮の女一宮をお思い申し上げるといえども、比較できるものではない」と名残惜しく思うのでございました。

百 心安き権中納言

権中納言は、四の君の具合いがよくないせいか、気持に苦労が多く、落ち着きなきままに向こうへお出かけになる。女君の方も妊娠してお腹も大きくなり、暇ではあるが何かとあれこれ考えてしまうのでございました。

「子供を産むまではここにいる。これ以外に道はなく、味気ない日々であることよ」と見ていると、「権中納言は、まろにも劣らず四の君に心を入れて、ここに五六日、また向こうへ五六日と籠もり、双方を持ち回り過ごすことこそ、飽き飽きして来るがどうしようもない。しかし、元の姿には戻ることは出来ない。ともかく、無事に出産を終えたら、吉野に参り尼になろうと思う」と考えることを慰めにしていることを権中納言は知らないのでございました。

「今は大人しくこの様にしておくのがよい」打ち解けて来ると、これが限りと見えつつも向こうへ行ってしまうのが何とも不愉快だ。世間の目を気にして、この二所だけに通っておられるのでございました。

「長年思ったことが心に叶わぬと嘆いておられたが、ついに願いが叶った」と思って内面では心安く嬉しく思っていても、またもう一人の女で、心の暇なく苦労して、いらだって帰ってくると、女君も苦しげに悩んでいるので、「具合いはよいか」とどちらも懲りない様子でございました。

くつろいで話していると、御前の侍女たちが「この間の昼、世から失せて大騒ぎをしている右大将様が、庭におられたのでございます」というので、「怪しいな」と聞かれて、微笑んで「それで」と問うと、「狩り装束で、この小柴垣のもとに立っておられましたが、お帰りになりました」というので、珍しいことなので、女君に、「本当か、見た者は誰なのだ」と訊くと、「まだ見ぬ心地のする人で、侍女たちがそのようにいうので、まろの身から離れた生き霊か」と可笑しく答えたが涙が流れたので、権中納言は、「やはり前の姿に未練があるのだ」といつもの様に気にするようにいうので、「それにしてもどんな人でしたか」と訊かれたので、「まろに似ているというので、想像なさいませ。見よいものではありませんよ」と答えて終わりにしたのでございました。

百一 吉野到着

男君(元尚侍)は、吉野の宮邸(キュウテイ)を訪ねて行かれて、まず使いを遣わして、「右大将殿の元より参りました使いでございます」といわせたのでございました。

この山野の方まで右大将の失踪で大騒ぎになっていたのですが、右大将が失踪の直前に吉野の宮をお訪ねになっておられたのでございます。宮は、その後右大将がご無事であるかどうかで気にされていたのでございます。

「右大将様のお使いでは」と喜びながら、「こちらへどうぞ」と呼び入れたところ、右大将の同じ様子の清らかな人がお入りになったので、宮が驚きになり、「いかにされて」と仰せられるのでございました。

男君は、「右大将は失踪されて二月ばかりになりました。吉野の宮様に右大将が度々通っておられ、ここを最後の拠り所と仰っておられたと聞きまして、何か言い残していることがありましたら、ぜひ承りたいと思いましてやって参りました。私は右大将の兄にあたります」と申し上げたのでございます。

すると宮が、「右大将様は、一昨年の秋ごろ立ち寄り、話が盛り上がり、この世ならず彼の世に至るまでと、お約束を致しました。今年の四月一日ごろにおいでになり、この世を心細く語られて、六月末から七月初めごろ大変なことがあり、命があるかどうかは分からないが、七月の末には風の便りにつけてもご消息を差し上げましょうと約束されました。今は慎み給うておられるのだろうと思っております。朝夕の祈りで、思いを果たせるようにも祈っております。右大将様は生きておいでです。」とおっしゃり、「今のご状況こそ、胸のふさぐ思いでおられるでしょう」と仰るのでございました。

宮の洞察力の高さに、男君は頼もしくなってこられたのでございました。

男君は、「兄弟は余りなく、兄妹の二人だけで、心細い思いや嘆きをあまたして参りました。私にも真相をいわずして失踪してしまい、頼る人もなく、頼りの父も心労でどうなるか分かりません」と泣いてしまわれると、聖(ヒジリ)の宮も涙をこぼされて、「頼みがいがなく、我が身の束縛になる子に対してさえ、親の恩愛の深さを釈迦仏も説いておられます。まして、あれほど優れた右大将様だけに、親が深く悲しむのは当然でしょう。しかし、必ず尋ね逢うことが出来るでしょう。ご安心下さい」といとも頼もしげに仰せられるのでございました。

百二 吉野の宮の予言

宮が男君(元尚侍)をご覧になり、「たいへん良い相をしておられます」と仰り、「私の娘に縁のある相をしておられる」とも観られて、将来が頼もしく、吉野の地のご馳走などをなさって、宮御自身のお話などを細かになさり、男君も万事に励まされかつ慰められる心地がして来るのでございました。

思い切って男姿になり、男君の有様を、かつての右大将の様に思われるのは過分であるのですが、昔のように埋もれて過ごすことは出来ないのでございます。

七月の末に右大将が宮の元に消息をお書きになると約束されているので、後長い日数があるわけではないので、京に帰り「このような文があった」と間接的に聞くのも心もとないので、「右大将の消息を、ここで待ってもよろしいでしょうか」と宮に申し上げると、「それが宜しかろう」と仰り、「嬉しきことです。しばらく滞在してお待ち下さい。右大将様が約束なさったことですから、間違いはございますまい」と仰せになるのでございました。

尚侍(ナイシノカミ)までもが失せてしまったと父君がお知りになったら、たいへんな騒ぎになるので、「七月末に必ず消息を致しましょうと右大将様が約束なさった宮様のところに参り、男らしい姿をならしておりますので、心配はなさらないで下さい」といって、「出る時に申し上げたように、ただ私がいるかのようにそのままにして置いて下さい。東宮の女一宮様から消息がありましたら、病気で休んでいるとご返事下さい」などと母上の元に詳しくご報告なさっているのでございました。

母上は、「どうしているのか」と胸が痛み、虚しく思われていたので、たよりは嬉しいけれども、世離れしたところに長居するのも心配で、「世離れした有様のようだ」とお泣きになり、「この世にいる限りは、出家などしてはいけませぬ。頼むところがない私を捨ててしまえば罪にもなります」など書いて、装束や必需品などよろづの物を送って下さったのでございました。

男君の御許には乳母の子一人、下部一人がお側についており、大人しく過ごしておられますが、宮から漢文などを習っておられるのでございました。

「たいへん良い学問の師である」と思って、世づかぬ身の有様であったことを申し上げると、宮は、「分かっております。右大将様が愁いておられました。いささかの事の違いで、しばらく身についていましたが、右大将様も元の姿に戻っておられます。たいへんよろしい。右大将様は帝のご生母になり国母の位になる相をしたお方です」と思し召しになられたのでございました。

百三 宇治の面影

男君(尚侍)が宇治の邸宅で一目見た女性の面影を心にかけて、「また見る機会があるだろうか」と、思うにつけてもはかない気がして、

妹背山 思ひもかけぬ 道に入りて

 さまざま物を 思ふ頃かな

(妹背山といわれる吉野山へと、思いもしない運命の道をたどることになって、いろいろと物思いをする今日この頃です。あの女性が本当に妹君であるのなら、どうかご無事で再会出来ますように・・・)

几帳の内からのがれ出ることも難しかった身でしたが、行へも知らぬ吉野山に来てしまい、心ながら落ち着きません。東宮の女一宮様とも遠く離れてしまいましたが、いつも夜を伴にしており、今もあはれを感じて眠れません。また宇治の川波に立ち止まり、ふとお逢いした人が忘れることが出来ず、たいそう恋しく、お逢いしたく思い出して、

一目見し 宇治の川瀬の 川風に

 いづれのほどに 流れ合いなむ

(宇治の川瀬の川風の如くに、たまたまお逢いした美しい人よ、もしも妹君であるなら、どのようにしたら出逢い合うことが出来るのでしょうか・・・)

と思い、泣かれてしまわれましたのでございます。




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