秋の巻 第六章 新しき生活へ

百十二 左大臣の夢

左大臣は、月日がたつままに、数多くのご祈祷を山々の寺々に尽きるまでになさって、これで限界かと思われる頃、夜の夢に、たいそう尊い清らかな僧が現れて、「あまり嘆くではない。この心配事は無事であると、明朝にその知らせを聞くであろう。前世に、しかるべき食い違いのあった報いとして、天狗が、男は女にして、女は男にして、お前の心に嘆きをもたらしたのである。その天狗も業が尽きて、長年の祈祷の験(シルシ)として、皆、事が正常におさまり、男は男に、女は女に戻って、思い通りに栄えるであろう。深く悩んだのも、前世の報いであったのだ」というお告げをご覧になって、こちらの奥方に、「尚侍(ナイシノカミ)を気が転倒していた何ヶ月か見かけなかった。今夢でお告げを聞いたよ」とお話になるのでございました。

奥方が、尚侍は髪を切って男姿に戻り、右大将を探しに行ったことを詳しく申し上げると、「夢は本当であったのだ」と嬉しいものの、「尚侍まで世間を捨ててしまったことを知らないでいるとは」と自ら驚きあきれておられるのでございました。

次第に夜明けが近づいた頃、奥方の側に侍女が寄り、若武者がおいでになったことを申すので、奥方も驚いて、「夢がまるで合わさったようでございます」とお告げなさったのでございます。

人はまだ寝ているので、奥方は「こちらに」と仰ったのでございます。殿は、「尚侍は内気で人にも顔を見せず籠もっておられたので、どんな男姿であろう」と思っておられたのですが、御前においでになったので、灯火をかき立ててご覧になると、ただもう右大将の美しさを二つに写し取ったふうでございました。

この人は、もう少し上背があって、りりしい雰囲気が勝っておられる。ご覧になると夢のようでございますが、行方知らずの人が思い出されてしまい、悲しい気持になってしまわれてのですが、やっと気分を取り直し、「それで、どのようであったか」とお尋ねなさるので、「右大将様は、以前のお姿ではなく、女姿に戻っておられました。髪が生えそろうまで人に知られたくないと仰ったので、お考えにしたがって、まろだけ帰って来ました」と喜びに嬉し泣きまでなさっているのでございました。

殿は、「よいよい、その姫を尚侍にしようと申し上げてくれ。あなたが右大将の代わりをなさい」と仰ると、「右大将様の様子をしかと聞いて、慎重に致したいと思っております」といって、夜が明けきるとお出になったのでございました。

殿は、晴れ晴れと胸も楽になり嬉しいので、病床から起き上がり、お粥などを召し上がりになるのでございました。

百十三 若君と我が身と

尚侍(ナイシノカミ男君)は、右大将(女君)にいつ頃に迎えに行くことを申し上げたのでございました。

女君は、男君との対面の名残(ナゴリ)もあはれで、夢のように思えるのでございました。

今は、「不都合だ」と思われるので、幼い若君を連れて逢うのも見苦しく、されども、見捨てるのは尚のこと悲しくて、思い悩まれたのですが、親子の契りは絶えることがないので、しかるべき時が来るのを待つしかないと思われるのでございました。

「生きていれば、いつか出逢えることもあるだろう。あれほど官位を極めた我が身が、若君が可愛いといって、通ってくる男を僅かに待って生涯を過ごして好いはずがない」と、過去に男装なさった御気性の名残なのか、強く決心しておられるのでございました。

さりげなく、昔の手紙などを破って焼いたりしておられるのですが、幼い若君を離さず見ていると、たいそう可愛くて、やっと声を出して、人を見守って笑みを浮かべたりすると、余りにも悲しくなってしまわれるのでございました。

百十四 権中納言への愛

権中納言が、例の如く突然こちらにおいでになったのでございます。「これが最後」と思えば、少しも嫌な気配を見せることなく、身をつくろって限りなく美しい様でおいでになるのでございました。

紅の単衣襲(カサネ)に、女郎花(オミナエシ萌黄)の上着、萩(赤紫)の小袿(コウチキ肌着)を着て、一時かなり面痩せしておられたのですが、この頃は元に戻り、華々と匂いを散らせたようで、御髪(ミグシ)もつやつやと影が映るようにおかかりになり、背丈から外れた末の髪は、房々と扇を広げた様で、八尺(約240cm)の髪よりも美しく見えるのでございました。

額髪のかかり具合や、頭の髪型など絶妙で、眺めていると、ひどい物思いも晴れ晴れして、愁いも忘れてしまうほどで、権中納言も心ゆくまで満たされる気がしてしまうのでございました。

「子供が出来ていっそう美しくなったようだね。何で昔の男装を素晴らしいとおもったのだろうか。こうしたら、この上なく素敵になり、こんな姿で宮中に仕えたら、きっと見る人全てが魅惑されてしまうよ」と、権中納言は限りない気色で、女君の髪をかき撫でておられるのでございました。

我が身に代わるごとくに四の君を心配する気持は忘れ果てて、二人で楽しく話ながら臥していると、また使いが来て、「今はもう最後のご様子で、お亡くなりになってしまうでしょう」と告げに来たのでございます。

権中納言は、「いつ亡くなるか分からない人だから、可哀想で最後を看取りたいと思っています。貴女は万事を理知的に判断して、妙な嫉妬心が感じられないので、自分勝手に行動させて貰っています」と言い訳をいうように話すのでございました。

女君は、「ここにいるつもりはない」と決心しているので、「なんで気にするだろうか。前々から感じていたように自分勝手な男心だ。ただ女に戻った時を、見知らぬ人に見られたくないから、身を任せていただけなのだ。このまま生涯を終えると思ったら、憂鬱でしょうがないだろう」などと考えつづけているのでございました。

女君は訳もなく美しく微笑んで、「その度事の御弁解は、ご自身がよく分かっているので、却って変ですわ」と申し上げると、「それなら、貴女が早く行けと、お声があれば出かけよう」と言われるので、「では早く、あちらが大変ですから」と仰ると、申し訳ない気がするにも関わらず、お立ちになるのでございました。

振り返り振り返りご覧になっているので、知らぬ顔でこらえているのですが、権中納言が行ってしまわれると、女君は、幼い若君を抱いて、少しも眠らず、一夜泣き明かしてしまわれるのでございました。

百十五 若君との別れ

翌朝、「今日の夜中頃にご出産されるでしょう。頼みになる様子でもなさそうです。今少し見届けて、そちらに帰ります」という文が届いたのでございました。

「分かりました。聞いていたよりも安産のようですね。それにつけても、まろの出産の時が思い出されます」とお書きになったのでございました。

「今が丁度好いであろう」と思うので、吉野の宮に消息をお書きなっさたのですが、日暮らしこの幼い若君を抱きかかえ、密かに泣いておられたのでございます。

その暮れに、例の近くにおられる尚侍(男君)から連絡があったので、先だってのように、乳母(メノト)の局(ツボネ私室)にお入れ申し上げて、人の寝静まるのを待つ間、平静ではなく動揺しておられるのですが、乳母にもその気配は見せないでいるのでございました。

女君は幼い若君をずっと見守って、「子を思う道に迷ってしまい悲しい」と他人事でなくお感じになっている内に夜も更けたのでございました。

人が寝静まると、別棟の離れにお入れ申し上げるのでございました。男君は女君に密かに吉野に旅立つ事を申し上げると、女君は心が乱れて懊悩されておられるのですが、「それでは、しばしこの子をお願いします」といって、乳母に若君をお渡しになったのでございます。すると若君が驚いて泣き出したのですが、それを見守ると身を分け残して行くような心地で、離れを出られたのでございました。

人は子を思うと闇になるといわれるのですが、女君は男装なさっていた頃の名残(ナゴリ)なのか、心強くていらっしゃるのでございました。

百十六 月夜の出で立ち

男君(元尚侍)が「京には少し子細がありますから、吉野に行くように父君に申し上げて参りました」といって、男君の乳母子の女性で、親しくしている三人を率いておいでになったのでございます。

月がたいそう明るい夜でございました。

女君(元右大将)はそっと物陰に隠れるように忍び出て来られたのですが、幼い若君が思い出されて引き返そうとする心地になりながら、車に入られたのでございました。車を引く人が多数いて一夜明かして、次の日に吉野にお着きになったのでございました。

吉野の宮は、このことをお聞きになって、姫君がいるところをしつらえて、お迎えになったのでございます。女君を下ろされると、互いに久し振りに対面して、目出度いこと限りなく、夢のように嬉しくあはれに思われたのでございました。

父君から詳しく知りたいもどかしいお手紙が、宮のところに遠い距離とも思えないほど始終届いてたのでございます。身の回りの品々は全て献上なさるという仰せお聞きしていたので、それらも全て車に積んで参上したのでございました。

憂鬱な権中納言の情事も絶ち切れてほっとなさるのですが、将来が楽しみの若君の顔立ちが恋しく、自ら選んだ道とはいえ、茫然ともの思いに沈むのでございました。

急に女姿で現れたことを変だと驚かれる恥ずかしさに、あちらにいる姫君ともお会いにならず、沈みがちに臥しておられるのを男君は離れていながら、「権中納言の心の内を哀れに思われているのだろうか」と思い、「姿の秘密をよくご存じであった人を振り切って、こうして離れてしまうのも寂しいのではないかと思うのですが、これから如何にしたらよいかとお考えなのでしょうか」と申し上げると、「心外にも、納得できない契りを結びましたが、その人との将来までは、どうして考えましょう。無心の幼い子を一緒に連れ出したのでは不都合だと思いましたので、見捨てて来たその子のことを考えています」というと、耐え難く泣いておられるご様子が哀れであるのでございました。

「なるほど、そうお思いになるのが当然です。そのお子が離れがたいご縁なのですね。と申し上げ、「そうだったのか、父君には申し上げたくないというお気持が深く、権中納言とは縁を切りたいというご意志なのだ」と拝察するのでございました。

百十七 はらから(兄妹)の契り

男君(元尚侍)が、「まろも慣れていた姿を変えて、こちらに参った後は、毎日拝見していた東宮様(女一宮)に久しくお逢いしておりません。女一宮様は妊娠の兆候が見えていましたがお逢いもせず、行方も分からないような野末に好んで過ごすのも、現実とも思えくらいです。しかしながら、急いで世間に出ても未熟なので、身を馴らすことに尽くしています。まろの代わりに女君が尚侍になって下されば、女一宮様に対面なさることも自ずと上手くいくでしょう。女君にお任せすれば、妊娠していることも上手く計らって下さるでしょう」などと思うと胸襟を開けて、「かくのごとき事情があり不安ですが、まろの代わりに秘密を上手く隠してもてなして下さい」と、細やかにあれこれ語り申し上げたのでございました。

女君もそれを聞くと、あはれな気持になり、「まだ京には帰りにくいのですが、殿、母上を思い申し上げることはさて置いて、その事がありますので、何とかして乗り切らねばいけませんね」など語り合って、「まろの代わりに宮使いをしなければいけないと思われるなら、外見は非常に似ておりますので心配はありません。大体の公的な慣例について、見当がつかないと思われるなら僭越ながらお教え致しましょう。行事のことは、ある身分の人が命じることは、お答えになることは、かくかくしかじか・・・」などと、たいそう親切に申し上げなさるのでございました。

笛や琴の音色、筆使いなど、籠もって懸命にならわれているので、たどたどしくなく同じ様に吹きならし、弾きならし、別人と思えないほどでございました。

筆使いなどは、似せようと学びなさるので、全く違うところもないのでございます。み声、気配などもそれぞれが女装、男装していたので、ほとんど違いがないのでございます。これらの努力点は、兄妹のはらからの契りと思われていたのでございました。





目次のページ