秋の巻 第一章 右大将失踪

七十八 所狭き身

四月にもなってくると、しだいに身重の体も置き所がなく、動作も不自由になっていくのですが、努めてさりげなくふるまい、忍び歩くのも苦しいのですが、権中納言(元宰相ノ中将)の方は気やすく逢えないことも辛くて、「どうして今までこのままでいるのですか。人目につくでしょうに。見とがめる人でもいたら、どんなに困ることか」と繰り返しいってくるのでございました。

宇治の辺りに、権中納言の父式部ノ卿ノ宮の御領地に、たいそう風雅な邸(ヤシキ)があるので、しかるべき準備をして、必ず籠もるところにしようと思っているのですが、右大将がなかなか決心がつかないのを待ち遠しく思っていたのでございます。

右大将としては、権中納言に頼らないようにしようと思ってみても、軽やかな身なら吉野の宮に身を隠してもいいのですが、仏の現れたような清らかな吉野の宮に、身重もの身を預けるのはやはり無神経であるし、姫君たちも気のひけるような奥ゆかしい方々なのに、「変だ、あきれたわ」とお見せするのも申し訳ないと思われるのでございました。

「といって、親しいといいながらも、乳母(メノト)のような人に、このような有様で頼むのも恥ずかしく、やはり権大納言に身を寄せるしかない」と思い迷うのでございました。

七十九 吉野の人々との別れ

「こうなれば、この人(権中納言-元宰相ノ中将)に従って、世から逃れ籠もるしかない」と思い直して、籠もる日を定め約束しあって、まず吉野の宮に参られたのでございます。

初めてお逢いして以来、全てあらゆるものをこまかに調べて、姫君の身の上まで、庵室の扉に間がなくなるほど仕送りをなさっていたのでございます。

吉野の宮は、このように遠い道のりをわざわざ通ってこられるのを「まだ若くて華やかなご身分であるのに有り難いことである」と思し召しておられるのでございました。

吉野の宮は、たいそう喜んで、何の隔てもなく申し上げなさり、右大将も世の常よりもいっそう追い詰められた旨を申し上げると、宮は涙ながらに「いくらなんでも、とんでもないことには、なりますまい。もう少しの辛抱です」といって真心を込めて護身の祈祷をしてくださるのでございました。

姫君たちにもご対面して、あはれで心深きことを涙ながらに申し上げて、「このような姿を変えても、ここを住みかと頼み、お伺いしようと思っておりますので、お心に留めて置いて下さい。この三ヶ月ばかりは参れませんが、もし命に限りがあれば、今回が最期になりましょう。思いの外生きながらえば、このような姿ではなく、もっとすっきりした姿でお参り出来ると思います」と申し上げたのでございました。

ふいなことで、「どうしたらよいのか」と遠慮がちであった姫君たちですが、意外にもあはれで深い心を聞いて、「この方をこの世を頼る人だと聞いていたのに」と感じていたのですが、この様に追い詰められ、心細いご様子を見て、「どうしたらいいの」と哀しく、皆泣いてしまわれたのでございます。

この様な時でも、「殿や母上に姿を見せ、お逢いしたい」と思うと心は収まらないのでございました。

姫君たちと別れる時もあはれでしようがないので、

またも来て 憂き身隠さん 吉野山

 峰の松風 吹きな忘れそ

(また来ても 吉野山に憂き身をかくしましょう。峰の松風吹くのを忘れないで見守ってくれ、それと同時に私のことも忘れないで下さい。)

妙にいつもと違うご様子かしらと、うち泣かれて、

ほどな経(ヘ)そ 吉野の山の 松風は

 憂き身あらじと 思い寄(オコ)せて

(余り時を置きませんように。吉野の山の松風で身も慰められると思い起こし、私を思い出して下さい。)

どの様になろうと、右大将は約束を違え申し上げる気はないのですが、しばし訪ね申さぬ間のことを案じて、秋から冬のご用意を気配りなさるのでございました。

宮も、右大将の将来を見抜いておられるので、丁寧に護身の祈祷をなさって、お薬も献上なさるのでございました。


八十 四の君への言葉

日々に朝方から暮れるまで、殿・母上の御前にいると、「とても嬉しい」と思し召しになり、拝見する度に、これが最後かも知れないと思うと、涙がこぼれてしまうのでございました。

右大臣殿には何かと心配をかけ、ある時はたいそう喜んで頂いたこともあったのですが虚しく、「如何に思っておられる」かと思うと胸が痛む思いがするのでございました。

女君(四の君)は、だんだんお腹がふくらみかけて、とても可愛く悩ましげな様子ですが、右大将が身を隠す決心がつくと、辛い心も辛くなくなり、何となくつらい年月も、あはれな事ばかりが思い浮かんでくるのでございました。

四の君自身は権中納言(元宰相ノ中将)より右大将(元中納言)が見劣りすると思っていても、右大将は長い間接してきた四の君の良い面だけをしみじみ思い浮かべる心境だったので、「権中納言を非難出来ないのは、まろの身の違いにあったのだ」と思う他はないのでございました。

夏服に改めた服装は、人より涼しげにみえ、藤襲(フジガサネ表も裏地も紫の重ね着)の衣に、青朽葉(アオクチバ縦糸が青で横糸が黄色の織物)の織物の小袿着(コウチキ肌着)を身につけて、柔らかくて上品で優雅で、可愛いのでございました。
幼い姫君も、何か物を作ろうとして、やっと手で押さえて立とうとされるのが、とても可愛らしくて目にとまるのでございました。

「如何なることがあっても、命があれば殿・母上にもお逢い出来るだろう。右大臣邸はこれが最後であり、帰ることもあるまい」と思えば、普段は見馴れぬ侍女などまで目にとまってしまうのでございました。

右大将が、「もしまろが世になくなれば、あはれとお思って下さるでしょうか」と近づいて問い申し上げると、四の君は恥じらいて顔が赤らみ美しく匂うように、

遅るべき わが身の憂さに  あらばこそ

 人をあはれと かけて偲(シノ)ばめ


(いずれ往き遅れてしまうわが身の辛さを思うと、貴方をあはれと思いましょう。しかし、貴方がいなくなれば耐えていけるかわかりませんわ・・・)

とまぎらわしてお詠みになったのでございます。

少女のように可憐な歌ですが、中納言が右大将の位を貰った時、四の君が宰相ノ中将に送った歌には「人知れぬをば ただにやは聞く」(中納言様ではなく、貴方(宰相ノ君)の位のことだけを聞いておりました)と詠み、大胆な歌だと思い、ねたましく厭うべきと思ったのですが、今日はただもうあはれな気持が湧くばかりなので、どうでもよいと思ってしまうのでございました。

偲ばれむ わが身と思はば いかばかり 

 君をあはれと 思い置かまし

(貴方から心から偲ばれるようなわが身であれば、どれほど貴方を愛しく思うでしょうか。)

「当世風の人のように、口で巧みに語る心などはありませんが、ただ心の深い部分を大切にして過ごして来ましたが、事と心は違いますので、行きがかりじょう、あの方より次第に軽んじてこられた事は既に存知申し上げております。世の噂や人目はうるさいので、まろも心細く世にあるのが困難な境遇になって来たので、ひたすら貴方があはれに思われますので、聞き難い噂などもあるのではないかと思し召して下さい」といって、袖を顔に押し当てており、女君は何もいえいないのでございました。

八十一 親子の仲

右大将自身たいそう心苦しいので、自分を慰めつつ、「今日は父君の所へは参るまい。拝見するのに、心が弱っているので心配をかけてしまう」と思い、宮中の尚侍(ナイシノカミ)のおられる宣耀殿(センヨウデン)の方に行かれることにしたのでございます。

いつもより身なりを整えて、女君の方により添って、「内裏へ参ります。勤めがあれば宿直(トノイ)し、なければすぐに帰ってきます」と申し上げたのでございます。

そして侍女たちに、「女君の御前に従いなさい。いつもは晴れ晴れしいご様子ですが、今日は気がかりです」といって、出て行こうとすると、幼い姫君がとても可愛らしい手をかかげて、ついてこようとするので、余りに可愛いので、立ち戻って腰を下ろして、「なんという不思議な身の上だろうか。人目は親子の仲のように見えるのだが、これらの日々を最後に見知らぬ同士になってしまうのか」と見守ると、わけもなく涙ぐんで子を抱いてからお立ちになったのでございました。

ご容貌はいつもより目出度く見えたのでございます。右大将は十九才でございました。女君は三つ年上でございました。右大将の指貫の裾まで愛嬌がこぼれ落ちるようで、使いが来るまで、縁側の角に立たれて、庭を眺め、白氏文集(モンジュウ)の「翠竹(スイチク)の辺(ホトリ)夕(ユウベ)の鳥の声」とゆるやかに吟じられる声は、なんと素晴らしいとのみ聞こえるのでございました。

八十二 尚侍との別れ

宮中の宣耀殿に参られると、侍女が少なく、尚侍(ナイシノカミ)は、侍女に庭の撫子に手入れをさせながら、ご覧になっており、三尺(約90cm)の御几帳(ミキチョウ)だけを引き寄せておられたのでございました。長閑にお話を申し上げていると、侍女も御几帳の後ろ側にいなくなったのでございました。

右大将が、「去年の秋頃より情緒が安定せず、わけもなく心細く思われるのは、寿命が尽きて来ているのではないかと思い、変わった身の愁いも感じられて、もはやこれが世の別れではないかと思うと、殿や母上を初め、兄弟も少なく、ただ貴方だけがこうしておられるだけで、まろがいなくなれば、貴方がどんなに寂しい思いをするかと思うと、胸が痛くなるような気がするのです」と仰り涙を浮かべられると、尚侍も全く同じ様に思って涙ぐむのでございました。

尚侍のどうしようもなかった恥ずかしがりも、だんだん大人びて、人知れず世の中を見渡しますと、「人様には気が引けますが、このように変わった身の上は類いがないのでは」と思われ、右大将と同じことを思っていることが分かると同感して、涙が流れてきて仕様がないのでございました。

尚侍が、「年月がたつと伴に、このように世にない身は、今さらどうにもならないので、深い山にこもり跡を絶えてしまおうと思いながら、時が過ぎ去ってしまいました。されどもこれでいいわけではありません。やはり数奇な運命だと思ってしまいます」といって泣くのでございました。

「ほんとうにそうお思いであろう」と右大将も泣いているのでございました。

藤の織物を施した御几帳、撫子の衣、青朽ち葉の小袿着(コウチキ肌着)をお召しになり、御几帳よりほのぼのと見えるご様子は、世になくほど美しく、右大将は、「まろが元からここにいるべきだった」と今初めて思うことではないのですが、我が身を見るとあさましく思えるのでございました。

尚侍は、右大将が花々と匂い、限りなき容貌の少し面やせしても、愛らしくすばらしいのは、「公の場できっぱりと振る舞っている時で、こうして沈んでいると、やはり女性としての本性は争えないなあ」としみじみ同情を覚えるのですが、「まろこそ貴方様のような男姿でないといけないのでございましょう」といって、互いに思い合い、尽きることなく申し上げ、泣かれるのもあはれであり、別れるのも惜しく思われる程でございました。

暮れるまでいて、右大将が、「誰かがお仕えはしていますが、姫君の御前に人が少ない。あまた参り下さい」などといってお帰りになったのでございます。

尚侍は少し端の近くへ寄って、「右大将様の、いつにない寂しいご様子を拝見しました」と、胸が痛む思いでお見送り申し上げたのでございました。


八十三 宇治への微行

右大将は、お供の者、先を追う人々には、「今宵は宣耀殿にお仕えして帰らなければいけない。明朝早く、車を供人と一緒に持って参れ」といって、皆お返しになったのでごおざいます。

権中納言は網代(アジロ)車に乗って北の陣にこられたので、右大将はお忍びてこっそりと乗られたのですが、気分は夢とばかりに感じられるのでございました。

宇治へ行かれる道中も、「これはどうした身か」と哀しい気分になるのですが、月は明るくのぼって、道すがらも風雅で、木幡(コバタ)のあたりは木こりの山里になり、落ち着いて来たので、幼い頃から手になさっていた横笛も、女に変身すれば吹けなくなるので、別れを惜しむようにしてお吹きになるのでございました。

身に着けておられたので、心細いままに、吹き澄まされる音色はなんともいえぬ素晴らしさなので、権中納言も扇をたたきつつ、「豊浦の寺」をお謡いになるのでございました。

お着きになってみると、たいそう風雅なところに邸を建て、室内装飾なども優雅にしつらえてあるのでございました。

侍女なども必要なので、権中納言の乳母(メノト)子二人ほど、世間のことにうとい侍女や女の童など、住み込ませていたので、その邸になじんでいて、一行を待ち受けていたのでございます。

車から降りる時、「どうして来てしまったのか」と思われるのですが、「やはり、戻りたい」といっても帰ることが出来るはずがないし、権中納言も、このように来てしまったのだから、返すことも出来るはずがないのでございます。我ながらあはれなる心地がして、その世は明けてしまったのでございました。

八十四 右大将の変身

翌朝、格子を明け渡して、外に目をやっても現実のこととは思われないのですが、権中納言は思いが叶う心地がして嬉しくして、右大将の頭を洗い髪も垂らしてみると、尼のようにふさふさとかかっているのでございますが、眉を抜いてしまうと女らしくなり、若返ったようにとても可愛くて、「甲斐があった。嬉しい」と思い惑っているのでございます。

世の中のことも気がかりでぼんやりして、物のみ哀しければ起き上がろうともしないので、権中納言は「悲しい」と思って、「これこそが世の常の姿です。これまでの姿を本当だと思っておられたのですか。世間に出て、多くの人と交わりたいと思って、ことさらに交わって来たのです。たとえ目出度くても、我が身をあらぬ姿で過ごして来たことはあるべき姿ではありません。最初は妙な気がしても、こうしておられるのが正常なのです。父君に申し上げることがあっても、悪しき事だとは思し召しにならないでしょう」といって聞かせてくれるのも、「本当に」と道理に思えて恥ずかしいと思われるのでございました。

「我が身が普通になったというなら良い。前の姿でなくても、命さへあれば、どなたにもお目にかかれるかもしれない」今のままでは、髪が女性としては短すぎるので、吉野の宮から頂いた薬の中に、夜飲めば日に三寸(約10cm)必ず髪が伸びる薬があるので、「必要な時もあるかも知れない」とお思いなさって取って置いた薬で、毎日飲んで髪を洗っているのでございました。

この薬を用いる時も、他人には見せず、権中納言が感じよく上手にお世話するので、すっかり身を委ねているのでございました。

右大将はうっとりと、声をひそめるようにして、あっという間に数日間が過ぎていくのでございました。

八十五 人々の嘆き

翌朝・お供などが参るのですが、「夜が更けてからお帰りになりました」と申し上げているのに、右大将を所々尋ねて回るのですが、何処にもおいでにならないのでございます。「例の、月ごと五六日必ず隠れなさる乳母(メノト)の家」にもおられないのでございます。「以前、吉野の宮に十日もお籠もりなさる時もあった」ということで、十日過ぎても、お供の人はいるので、「もう帰って来てもよいのに」と思っても全く消息がないので殿、母上はどうしようもなく、悲嘆にくれるのでございました。

大殿は、「世をかなり思い嘆いたりしていたが、変わった有様が思い詰めたのであろうか。されども、しかるべき官位のある身を顧みないで、背くようなことはしないはずである。去年の冬頃より、具合いがよくなかったことが時々あったので、何故見届けなかったのであろうか」と後悔しても、しきれるわけではないと思われるのでございました。

全てのことに優れて、世の第一人者であり、左大臣邸に参れば、右大将の典雅さに、物思いも忘れ、老いも若返りるような様子、容貌であったのですが、右大将不明後、父君は大方忘れてしまい、死んだ人のようになってしまわれたのでございました。

左大臣邸で、騒ぎ混乱している様子は、いうまでもなく、尋常であるはずがないのでございました。かつての世でも類いないほどのご様子、ご容貌を思い出し、申し上げるうちに、どうなされたのか、「そこで、尼になっていらっしゃる」ということも耳にしないので、あれから日がたっていて、あはれで悲しまない人はいないのでございました。

宮中・院などでも、素晴らしい世の光であった人がいなくなったことを嘆き、「どうしてそんな事が起こったのか」と山々寺々の読経・祈祷をはじめ、朝廷・民間も天の下が騒がしいまでに、ご祈祷がこなわれのでございました。

「変わらぬ様でお帰りなさるお祈祷」を、世に余るほどご祈祷されたので、験(しるし)がきっとあるであろうと思われんばかりでございました。

何の気配もなく、日数がたってくると、右大将の優れた様子をご覧になっている方は、求め悲しみつつ、野山に交じりて捜索し、世界に光を与える日月が、雲に隠れたような嘆きようでございました。

八十六 右大臣家の嘆き

まして右大臣のお心は、尋常ではなく、女君は、「内裏へ行き、宿直(トノイ)があればしてかえるいって出かけました」と、出勤された時のことを仰るのですが、消え入るように沈んでおられるのでございました。

右大臣は、父君左大臣に劣らず悲嘆にくれており、「右大将は、冷たく四の君を愛していなかったのだ。まだ幼い姫もいる。また四の君は妊娠しており、家族を見捨ててしまわれたのか」といって、恨みに思い泣いてしまわれたのでございます。

ところが、世間では妙なことをいう者がおり、「権中納言(元宰相ノ中将)が四の君に通じていたのだ。右大将はとても思慮深い方で、どうにもならなくなって身をかくしてしまわれたのだ」といい、「この生まれた姫君も権中納言の子である」と言いうのを左大臣が耳にして、「そうかも知れない、どうも怪しい」と思って、「右大将は聡明で思慮深い人で、変わった有様を人に知られてしまったのだ。されば、どうして四の君の婿になり、宮中に仕えることができようか。悩んだ末、身を隠してしまったのだろう」と納得されのですが、悲しみにくれてしまわれたのでございます。

ひきつづき父君左大臣は「右大将はこのような事情を人には言わず、己が心にのみ背負い、身を亡きものにしたのだろう」とあはれで慟哭(ドウコク悲しく激しく泣く)してしまわれたのでございます。

右大臣が尚はっきり分からないところがあり、近くにお召しになり、「深い縁があり、たいそう聡明な方と思っておりましたが、その甲斐もなく、この様に家庭を捨ててしまわれたことなど・・・」と仰り、四の君のことを思うと嘆かわしく、このように追い詰められると、本来の思慮分別も働いていないご様子でございました。

左大臣はやっと冷静になり、「世の者が申すことをお聞かせしましょう」といって、権中納言が密通していたこと、今の幼い姫君は右大将の子ではないことなどを申し上げると、右大臣は「万事がたいそうご立派で言うことのない方と存知上げておりましたが、近年右大将様が世を思い嘆くことがしばしばあり、娘(四の君)とも上手くいってないと思うことが多々ありました、なるほどその様な情事が合ったのでございますか、合点がいきました」と思し召し、右大臣の涙も止まり、「何とひどいことだ」とあきれ果ててしまわれたのでございました。

左大臣邸に参ること自体が恥であり、帰って四の君の母上に左大臣の仰ったことをしかじかと話すと、母君も呆れかえったというだけでは表しきれぬほどの驚きでございました。

八十七 四の君勘当

右大臣は、四の君を限りなく愛されており、一の君から三の君を軽んじておられた風があり、「妬ましい、悔しい」と思い込んでいた乳母(メノト)の一人が、今回の件を知って、このような状況の中で右大臣の目に届く辺りに、「右大将様は、権中納言のことで思い悩んで身をお隠しなったのでございます。この生まれた姫君も権中納言の御子でございます。我が御子と思い込んでお喜びでございましたが、間違いなく権中納言の子でございます。生まれた後詳しく見ておりましたところ、七日目の産養(ウブヤシナイ)の夜、権中納言が四の君様の寝所に来られたことをはっきり確認しております」などと書き付けて落として置いたのでございました。

その文を奥様が見つけられて、殿にも見せられると、「何ということだ」と思って四の君に見せましたところ、間違いがないとのことで、「偽りではなかったのだ」とたいそう立腹されて、四の君を勘当(縁を切る)して、お世話をしないことにしてしまったのでございます。

右大臣は、「大変残念だ。この邸内におるでない。世間体もあり、左大臣様への配慮もある。右大将も世を捨てていても、耳に入れば身の恥と思い、悩んでいたのもかくのごとしと申し上げるだろう」といって四の君を外に出し、見聞きもしなくしたのでございます。

女君の心はいかばかりだろうか。意識も消えそうになるくらい、ひどい状態であるのを、四の君の乳母(メノト)である左衛門は、「思いやるすべもなく、あはれ」と拝見して、「この苦しみを権中納言に訴えるしかない」と思って、現状を思いやる最低限のことを五六枚に、あはれに悲しげにかきつづけて、み使いに渡して、「これを確かに」といって受け取らせて、内裏に参らせたのでございました。




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