春の巻 第二章 中納言誕生

七 裳着・元服

このような若君(女)の学問の深さや容貌の優れていることが、世間にも広まって参りますと、帝・東宮(皇太子)から、

「そのように何事にも優れているのを、今まで宮中に出仕させないとは」

とひどく本人をご覧になりたくて、父大将に何度もおすすめがあったのでございますが、大将にあっては困ったことで、不甲斐ない気がなさいますので、まだ幼いことを奏上して、お見せにならないので、帝の方では、

「童姿では、人目にさらしたくないのだろう」

と仰せになって、冠位を下さって早く元服させて出仕させるようご希望があり、どう申し上げても、参内(サンダイ)させないでいる訳にはいかなくなったのでございます。

「それでは、もう成り行きにまかせるしかなかろう。これも前世(ゼンセ)からの因縁であるから、かかる件に置いても、めいめいがそれぞれに生きていく運命なのであろう」とひたすらにお思いになり、今年は御裳着(オンモギ姫君の成人式)、御元服(ゴゲンプク)を我も我もとお急ぎになるのでございました。

その日になりまして、この邸(ヤシキ)のしつらえを世の常にないほどに磨き上げ、まず姫君(男)をお渡しになり、母君の東(ヒンガシ)の上もお渡りになったのでございます。

祖父の大殿が姫君(男)の裳着(スカート)の腰紐をお結びになるので、他人に依頼しないのは変則ではございますが、さすがに父君としてはご都合が悪く思われたのでございましょう。

かかる事を聞いた人は、思い当たることがないので、ただ「若君と姫君を思い違え、聞き違っていた」と合点したのでございます。まれに詳しく知っておられた人は、口外すべきことではないので、世間に知る人のないことが、せめての幸いでございました。

若君(女)のご加冠の役は、父大将の兄君の右大臣様がなさったのでございます。髪を結い上げた様の美しさは、兼ねてから予想されていたことではございますが、群を抜き、その想像を絶する容貌に、ご加冠役の右大臣様の絶賛さなるのも、当然のことでございました。

右大臣様は姫君ばかり四人お持ちになっていたのでございます。長女は帝の妃、次女は東宮(皇太子)の妃、三、四の姫は未婚でございましたので、元服した若君(女)に嫁がせたいとお思いになっているのでございました。ご祝儀や贈り物などは、世に倣いがないほど善美を尽くした物でございました。

冠は 童の頃に頂いたので、世間では若君(女)のことを、大夫(タイフ)の君と申し上げるのでございました。

八 若君の侍従昇進

やがてその秋の司召(ツカサメシ)に侍従(女)の位につかれたのでございます。帝、東宮(皇太子)を初めとして、天下の男・女、この君(女)を一目お見受けすると、忘れることが出来ないほど素晴らしい方と思い込んでしまうのでございました。帝のご寵愛を受けておられるご様子は、高貴な人の御子(ミコ)といいながらも類いなきもので格別であったのでございました。

琴・笛の音にも、作文といった漢学の素養にも、和歌の道にも、さりげなく書き流す筆遣いにも、類いなきほど優雅に振る舞い、仕えておられる様子の愛らしさ、ご容貌は、今から理想的と思えるほどで、世間の常識や朝廷の儀式にも通じている賢さといい、すべて何事にも優れているので、父大殿も、「これはどうしたことであろう、しかるべき運命なのか」と言っても甲斐のないことで、しだいにあるがままに、嬉しく愛らしきことに慰めを覚えるのでございました。

若君(女)は、幼い頃は我が身の如何なることも考えず、「このような例しもあるのだろう」ぐらいにお思いになって、心のままに振る舞って来たのでございますが、しだいに人々の有様を見聞きし、詳しく知るようになると、物思いにふけり、我が身の不思議なあり方に疑問を持つようになるのでございますが、さりとて、今思い返しても、どうにもならず、「珍しく、人とは違う身の上なのか」と独り思いつつ、嘆かしく思いながらも、身を修めて、遠目に物静かにお仕えになる気配りなど、たいそうご立派で、さすがと思われるのでございました。

九 帝の思い

その頃の帝、四十余りにて、大層ご立派で雅びな方でございました。東宮は二十七、八歳にて、ご容貌は王家の品があり、気高い方でございました。侍従の妹君(兄)のご容貌、名高く優れておいでになったので、帝も東宮も妹君(兄)にお心をかけて、宮使い(求婚)のご意向があったのでございますが、父君は大変な恥ずかしがり屋でとても無理だとお答えになるのが精一杯でございました。

内心では「宮の女御か妃としてお仕え出来たなら」とたいそう物思いにふけられていたのでございます。

帝には、お亡くなりになった皇后との間に女一宮のお一人だけおいでになるのでございました。女一宮をあわれに想い、お悩みになっており、お目を離さず可愛がっておられたのでございます。さらに、帝、東宮にも男子がおられないのを天下の大事として、我も我もとご祈祷に専念されているのでございました。

帝には右大臣の女御がおいでになっていたのでございますが、摂関家の娘ではないので、皇后にはなれないでいたのでございます。

帝は、この女一宮のことを朝晩に不憫に思い、侍従(女)の有様のこの世の者ではないような様子を見ておられたので、「この宮の後見をしてもらえないであろうか」とご覧になる度に、侍従(女)に関心を持たれていたのでございます。

ご後見がしっかりしていないので、女一宮はまだかなり若く、浅はかなので、「(侍従の)妹君(兄)のたいそう立派な姿を見てるので、女一宮を見ても不満に思ってしまうかもしれない」「まだ子供なので、もう少し成長してからの方がよいかもしれない」などとお思いになるのでございました。

このような帝のお気持ちを耳にするにつけても、父君は複雑な思いになり、「あゝこのようなことがなければ、帝のご要望に応えられたら、面目も立ち、如何に嬉しいことだろう」と父君は残念で、気持ちが沈んでしまうのでございますが、諦め半分に微笑んで噂をお聞きになるのでございました。

侍従の君(女)は、たいそう賢く、歳に似合わず、ご立派なほど理想的で、宮中の侍女などは、見るごとに恋心をそそられて、「たった一言でも声をかけられたい」とわざと見せびらかす者もいるのでございました。

侍従(女)は、変わった身を知りながら、成長してきた身を完全に隠しようがなく、士官してるのでございますから、女たちに振り回されることがあるでございましょうか。たいそう勤勉に身を修めているのでございますが、「もの足りなくて残念だ」と思う人が多かったのでございます。

十 宰相中将の思い

そこ頃の帝の伯父上に式部卿ノ宮と申し上げる人の一人子の君、この侍従の君(女)には二つばかり年上にて、容貌、有様、侍従の程には及ばないのではございますが、大方の人よりこよなく優れて、高貴にして粋、心ばへはたとえようがなく、隅々まで女性を観察して、色を好む方でございました。

美人なら見逃すことのない心にて、侍従の妹君(兄)と右大臣の四の君はそれぞれに美人として名高いのを、「何れもどうにかして得たい」と深く思い、しかるべき伝えより熱心に近づいて、心の限りを尽くして和歌を詠んで待ちわびるのでございますが、人柄が若干軽薄で、ちょっとしたことでも、「あゝ興ざめだ」と何れの方より思われて、返事をする人がないのを歎いておられるのでございました。

侍従(女)の余りにもまめで乱れることがなく修めているのを、なんとなく面白みがないとお思いになるのでございますが、見た目や容貌の似るものがないほど愛嬌があり、美しい様をみて、「このような女がいればなあ」と、見る度にお思いになられて、「妹君(兄)はもっと素晴らしいだろう、女だからひときわ勝るに違いない」とお想いなさり、まだ拝見していないのに忘れる心地もしないのでございました。

侘しきままに侍従の君(女)とよく語り合って、想い余る時は涙も隠さず憂い泣いてしまうのも、人より優れて純情で好ましく、侍従の君(女)は人より親しく語りながら、打ち解け(本当は女なので)すべてをさらけ出して愛し合うことが出来ないのが残念でございました。

妹(兄)のことが話題になる時には、妹(兄)の身の世に隠していることを知っておられるので、胸の痛くなるような気がして、熱心に相談相手になることも出来ず、言葉も次第に少なくなり、宰相の中将ノ君は侍従の君(女)が恋愛問題などを軽く考えていると思い込んで、「物足らず残念だ」と、涙も隠さず焦っていることが、侍従の君(女)は気の毒にお思いになり、会う度ごとに、

たぐひなく 憂き身を思ひ 知るからに
  
    さやは涙の うきて流るる


(類いないつらい身の上を思い知っているから自然に泣けて来るのですが、どうして貴方のように涙を隠さず流すことが出来ましょうか)

十一 若君の中将昇進

この様にしてるうちに、帝はお心地の常ならず、病にお罹(カカ)りなり、「病が久しくなるのは、しかるべき天の論(サト)しなのであろう。古(イニシエ)もこの様な例(タメ)しがないわけはない」とご自覚されて、東宮に位をお譲りになり、女一宮を東宮にお据えになり、ご自身は朱雀院の御所においでになったのございます。

大殿も今は御年七十に及び、病も重くなるのを覚えられて、御髪(ミグシ)をおろされて、左大臣にましまして、関白の位につかれたのでございます。公卿は次々に昇進し、大殿の侍従(女)は三位(サンミ)にして中将(女)になられたのでございます。

十二 右大臣の思い

右大臣様の娘の女御が皇后になることが出来なかったことを、残念なことであるとお思いつづけているのでございました。その代わり中将の君(女)は、人柄もこよなく優れておいでになり、いささかも不真面目で軽々しい振る舞いがないのをお聞きになって、これ以上に良い話しはないとお思いになり、中将の君(女)を婿に求めて、父左大臣にご相談を申し上げたのでございます。

父君は素晴らしいことだと思われながら、「如何に出来ようか、如何に言っても分かってもらえる訳ではない」と思われて、「如何なることだろう、婿にしたいというようなことは夢にも思ったことはないが、誠意のある人物だとは人様によく思われているようだ」と引き受け申し上げなさったのでございます。

父君は奥方に相談したところ、「年端のゆかぬ娘が怪しいなど思いもしないでしょう。ただ親しくして、世の常のようにもてなして出入りをすればよいでしょう」と一笑にふして「中将の君(女)は姫君のよい後見人になるでしょう」と仰るのでございました。

中将の君(女)は大層若く、心配になることはあるが、いうべきことのないご品格なので、父君は安心してあちらへ求婚の手紙をお書かきになったのございます。中将の君(女)はつぶさには分からぬけれど、男たちが女にかく懸想文だとご判断になり、

これやさは 入りて繁きは 道ならむ 
  
    山口しるく 惑はるるかな


(これがあの踏み込めばひどく苦労をする恋の道なのでしょう。もうすでに山の入り口でひどく迷っております)

とお書きになった筆跡は、なんともいえず素晴らしいものでございました。年齢のほどを思っても、「どうしてこの様に成長されたのであろう」と親としては嬉しくも哀しくもあり涙ぐんでしまわれるのございました。

右大臣家では、やっと承諾を得られたことなので、ご返事を娘に急がしてお書かせになったのでございました。

麓(フモト)より いかなる道に 惑ふらむ 
  
    行方も知らず 遠近(オチコチ)の山


(麓から迷っていると仰りますが、どちらに行くのに迷っておられるのでしょうか。あちこちにお想いになる方がおられるのでしょうから)

十三 若君の結婚と中納言昇進

それから後は、若君(女)から返事が届くので、右大臣家では自分の方から申し出されたことでもあるので、婚儀はその日とお決めになったのでございます。

右大臣の方も比類ない権勢のある後当主で、大切になさって来られた優れた娘御(ムスメゴ)に、関白左大臣家の三位(サンミ)の中将(女)を婿となさるご気分、ご様子というのは、万事につけても一通りでは済まされない風であったのでございます。

当時大納言様が亡くなられたので、また順次昇進なさって、若君(女)も権(ゴン)中納言で左右衛門ノ督(カミ)を兼任なさることになり、たいそう華やかで目出度いというのも可笑しなくらいでございました。

あの式部ノ卿宮家の中将も兼任で宰相に昇進なさりましたが、左大臣家の姫君(男)と右大臣家の四の君の双方に燃やしつづけた恋の一方の相手は当の中将と相手が決まってしまって塩焼く煙になってしまったのでございます。

宰相の君は、出会う折々に意識的に中納言を避けるようにして嘆いておられるので、中納言(女)は「(四の君は)これほど恋焦がれている人(宰相の君)を頼みにしないで、何故自分のような者をお選びになったのか・・・」とおかしく思われたのでございます。

十四 中納言と女君

中納言(女)は十六。女君(四の君)は十九歳になられますので、容貌も心も未熟なところもなく、ちょうどよく、年齢的にも飽くことがないほど美しく、いうことはなかったのでございます。女君は姉君よりご両親から寵愛されており、内心ご自負心があり「帝に召されてもよい身」と思われていたので、相手が中納言(女)では物足りないと思われて、顔色には出されなくとも、「こんなことで悩むとは」と心中では情けなく思われるのでございました。ただ中納言(女)の人柄が高貴で優れていらっしゃるので、疎んじるもてなしもなく、ただ趣のある会話で打ち解けられるので、見慣れてくると見下す思いもなくなられたのでございます。

夜のしとねも一目には合わせているようにしながら、一重の隔てをして抱き合うことはないのも、深くは誰が知ることがありましょう。ことさら一目に見えるようにして、今風に抱き合う様になされることもなく、ただあでやかで仲の良いようにご行動なされて、このようなご様子が幾千世重ねても飽きることがないと思われるのでございましたが・・・。右大臣家では、若君(女)は若くていらっしゃるので「慎ましくされているのだろう」と善意に判断して、おもてなしされるのは世に類いがないほどであったのでございます。

また浮気のような遊びに戯れる様子は全くなく、父左大臣家や宮中でのお遊びでも外泊などもなさらないのですが、月ごとの四、五日の怪しい時を人に見せて手当てするわけにはいかないので、「物の怪(ケ)に襲われて熱がある時がありますので」といって乳母の里へ隠れられることが「どうしたのだろう」と気にかかる節があるのでございました。

春の巻第二章終わり

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