秋の巻 第三章 尚侍の活躍

九十二 左大臣の失望

父左大臣は、右大将が行へも知らせずに、よく忍び歩きをしていたので、「今日は、今日は」と待ち暮らしておられましたが、尼などに変わった姿を探し当てることもなく、二月ばかりたってしまったのでございました。

「たとえ出家していても、あれほど沢山のところを探し求めたのに、見聞きしないはずはない。はるかな田舎までは、何が何でもお出かけにはなるまい。また国々の境に至るまで求めぬところはなかった。権中納言がそんなことは考えないだろうが、心よからぬ家来などが、主人の愛して忍び通いしている女に対して、女の婿である右大将を快く思わないで、一思いに殺害したのではなかろうか」とまでも思い過ごして、意識が朦朧(モウロウ)としてしまわれるのでございました。

今は右大将を慕い泣くことも絶えてしまわれて、ぼんやりと臥して沈んでしまわれているので、右大将の失踪の悲しみに加えて、殿のお世話も涙ながらになさっているのでございました。

九十三 尚侍の決意

尚侍(女官ナイシノカミ)も左大臣邸にお帰りになり、右大将が最期に宮中の尚侍の元に立ち寄られたことを思いだし、「そうと知っていれば、あの夜は引き留めるべきであった。でなければ、まろも一緒にと言えばよかった。幼い頃は別々に育ったが、宮中に仕えるようになると、右大将様が邸への出入り、宮中の上り下りを常に警護して下さり、光栄なことであり、どれほど頼もしく思ったことだろう。僅かに二人の兄妹で、右大将様の行方が分からなくなり、どれほど寂しい思いでいることか。自分が男として世に出ていればよかった」と思いになるのでございました。

「右大将様は宮中の私のところに来て、自分が女でここにいればよかった」と仰っておられましたが、「いずこの野山に跡を絶えられたのであろうか。心豊かで分別もあり、女の身で姿をお隠しになった。男に生まれながら、幼い頃から心にまかせて、女の身で過ごして来たけれども、このまま深窓の令嬢で埋もれてしまうのは、残念で寂しいことだ。殿の御身(オンミ)もこの度のご心労でどうなるかも分からない。殿ご自身はご身分があり、ご自身で右大将を探すことはご無理である。人任せでは噂をあてにして動くぐらいで、心を込めて探し出すことは出来ないだろう。どんなに変わったところにいても、畿内以外にはおられないだろう。よし、私はこうしてばかりはいられない。男姿に戻って右大将様を探し求めて、尼になっていようとも、見つけ出して一緒に戻ってこよう。探し出せなかったら、そのまま私も出家姿になって、深山(ミヤマ)に跡を絶つことにしよう。父君には多くの家臣が仕えておられる。急に世間に顔を出して、人を指図して、父君をお世話申し上げるのは、とても出来そうもない。ただこのままで、右大将様に先立たれたら、私自身もこの世に生きて行けるはずがない」と、昼夜涙に沈んでいるのでございました。

九十四 母との語らい

尚侍(ナイシノカミ)まで消え去れば、世間はいっそう騒ぐであろう。殿にご相談申し上げるのもいっそうの心配をかけるので、母上にそれとなく相談申し上げたのでございました。

「右大将様の消息が分かりかねることは、兄弟が少ないこともあり、まことに心細い限りで、殿も心を痛められておられます。本来男のまろが、これをただ眺めていることも出来なくなりました。まろが元の男の身になりて、及ばん限り尋ね求める覚悟です」といつになく堂々と仰ると、母上はたいへん驚きになられるのでございました。

母上は、「どうなさったのでしょう」と心配になられて、「いけません、何のお心変わりでしょうか。すでに女人の様になっておられるのに、どうしたら見つけてこられるのでしょうか」とただお泣きになるので、「それはそうかも知れません。しかし、山々国々を探していても、大方は騒ぎのみにて、誠意のある反応がございません。それに対し私は右大将様の血の通った兄妹です。心を込めて求めたら、天も見方をして下さり、尋ねることができるかも知れません。かつ私が探しに行かないといけないのです。探すのが困難であっても、ほって置く訳にはいきません。別々の他人として育った訳ではありません。右大将様のお心がたいそうあはれで、お優しく、それを想うと過ぎにし日が恋しく、もう耐えることが出来ないのです」と言いやる時から忍びがたく、泣いてしまわれるのでございました。

母上が、「どうなるでことでしょうか。仰ることももっともなので、あなたの御心に任せましょう」と仰せになり嬉しく思われたのでございました。

「尚侍までもが失せてしまったとなると、さらに世間が騒ぎ乱れるので、侍女は四五人しかおりませんので、いるかいないかの区別はつきがたいので、奥に籠もり休んでいるとでも言っていて置いて下さい。大殿にもしばらくは申し上げないでいて下さい。もし理由を聞かれたら、体調が良くないと申し上げて置いて下さい。父君は茫然自失の体(テイ)で、こちらの方にはお越しにならないでしょう。ゆめゆめ私がいない様子を人に悟られないようにして置いて下さい。右大将の母君には出入りしておられる方もございますが、こちらに来てお目にかかる人はないので、いるかいないかで怪しむ人はいないでしょう」と尚侍は申し上げたのでございました。

十五 尚侍(ナイシノカミ)の変身

侍女が尚侍の前に来ると返す返す口止めをして、狩衣や指貫の衣装は母上に申し上げになり、乳母(メノト)の子で尚侍と同じ東宮に出仕していた進(シン)という女官と親しいので、几帳の後ろに召し入れて、長き御髪(ミグシ)をバッサリと切って、男性がする髪型髻(モトドリ)に取りなすと、母上や乳母など、「これはどうしたのでしょうか」と驚きあきれるばかりですが、元の姿から男装になることを知っておられるので、妨げる人はいなかったのでございます。

この世の者ではないような立派なお姿になられたので、「ご決心なさったのは、本当のことだったんだ」と思われながら、驚きあきれるばかりでございました。

この進という女官は平生から東宮に仕えていた女官でございますが、にわかに召し出されて、この様な出来事を見る印象はたいそう珍しいことであったのでございます。

烏帽子(エボシ)をかぶり、狩衣、指貫をお召しになると、少しも珍しいところはなく、様子は失踪した右大将に違うところがなく、女が男装していただけで、顔は鏡を見るようにそっくりで、ただ右大将が帰ってきた様に見えるので、たいそう驚いてしまうのでございました。

「この姿を、殿によくお見せしたいものです。尚侍としてお過ごしになりましたが、養育が見事で素晴らしい。この姿を右大将として大殿にお見せしたら、どんなにか喜ばれるでしょう」と、母上も乳母も、大殿がたいそう喜ばれるであろうことを、皆思い慰められるのでございました。

尚侍が「ゆめゆめ、普段と違う様子を、人に知られないようにして下さい。ただいつもどうりであることのみを」と返す返す申し上げるのでございました。

九十六 東宮との別れ

「右大将を見つけ出さなければ、自分も世に帰るべきではない」と思うと、親たちのことは言うまでもないことですが、東宮に朝夕にお仕えしていたので、「妊娠しているかも知れない」のを、見捨ててしまう悲しさは、さらに東宮へ引き戻される心地になってしまうのですが、「大殿がたいへん危うい状態になって来ているので、東宮へ参ることがいつになるとは、はっきり申し上げ出来ませんことが、つらいことです」など書き尽くして、

あわれとも 君しのばめや

 常ならず 憂き世の中に あらずなりなば


(無常の憂き世の中にいなくなれば、あはれと貴女は偲んでくれるでしょうか。)

と申し上げる。ご返事もいとあはれげに、

君だにも あらずなりなば 世の中に

 とどまるまじき わが身とを知れ

(貴女までも いなくなったら 世の中に留まることの出来ない吾が身と思って下さい。)

と仰せになるのを、限りなく拝見して、これを畳紙(タトウガミ)に差し入れて、出かけられたのでございました。





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