冬の巻 第四章 男女の心さまざま

百六十一 祭など過ぎて

四月二十日余日(ハツカアマリ)、祭りなど過ぎて内裏がのんびりしてる頃、尚侍の君の物のついでに語っていた、麗景殿の女のことを思い出して、右大将はその辺りにいて佇んでおられたのでございます。

麗景殿の女は、何となくなつかしく語った夜々(ヨナヨナ)の事を忘れることもなく、元右大将が世の中から跡を絶えた頃も、ただ我が身一つの事と恋しく悲しく思いだしてくれた人であるので、今宵もつくづく辺りをながめていると、女が右大将を夜でもはっきり心得て、数ヶ月も過ぎてしまったことを悔しく思いながら、「物音がした」と思いながら、ふと申し上げる勇気もないけれど、「見た」ことを知らせたかったので、

思ひ出づる 人しもあらじ ものゆゑに

 見し夜の月の 忘られぬかな

(私を思い出してくれる人がいないので、あの夜に見た月の姿が忘れませんわ・・・)

と嘆く人は、尚侍から「噂に聞いた人だ」と思い、新右大将は同じ心であるのが胸にしみ、

驚かす 人こそなけれ もろともに

 見し夜の月を 忘れやはする

(驚いてくれるような人がなく、あの時伴に見た月を忘れる事が出来ましょうか。)

と仰るお右大将は、あの女が別人だとは思えなかったのでございます。

女は、なつかしげにお立ちになっており、昔も宵々にはこのように目馴れていたのでございましょう。右大将は思っていたより女が人柄、様子がたいそう親しみがあり過ごしがたい思いがしたので、間もなく戸を押し閉めてしまったのでございます。

女は、「まあ、あきれたこと」といいながら、長閑にだんだん右大将に隔てなく近づいていかれるのでございました。右大将は女を身分の高い者とは思わなくても、宮使いをする侍女とは違うしかるべき身分とおもっておいでだったので、「戸を閉めたりして失礼なことをしてしまった」と思うのですが、今は女と親しく語らっているのでございました。


百六十二 有明の月影に

しばらくすると、明け行く景色になって来ると、女も心細くなり、心も慌ただしい気がしてくるのでございました。

戸を明けて見ると、有明の月が明るくさし込んで来て、男の様子もはっきりして、女も愛らしく、ふすまを後ろにして寄りかかるのでございました。

見捨てがたく、しばし時を過ごしておられると、あの権中納言が身に添う影のように尋ね歩いていて、物陰に隠れて右大将の声がするのを聞きつけるのでございました。

数年来何となく過ぎて来た仲で契りを結んだのですが、今より後は互いに人目をはばからなければいけないので、心のままに振る舞えないのを語り合っていると、女もすすり泣いているのでございます。これで絶えてしまうのは嘆かわしいのですが、落ち合うことは事実上出来ないので、互いに諦めかけているのですが、なかなか別れられない状況にあるのでございました。

権中納言はそれを耳にして、「これはどうしたことだ。この頃物をいったりする侍女の中に、不真面目にも内裏の侍女の中将ノ内侍(ナイシ)や宰相ノ君などが、内裏の宿直(トノイ)の時に夜々(ヨナヨナ)留まって殿上人と語り合っているという人の噂がある。このような状況を見ると、ありえないような夢を見ている心地がするが、もしかしたら別人かも知れない」と思い、顔を確かめるまでいた方がいいと思っていると、

心ざし 有明方の 月影を

 また逢うまでの 形見とは見よ

(心に有明の月をまた逢うまでの形見として置いておいて下さい。)

といって、そっと出る音がすれば、女が、

かくばかり 憂かりける身の ながらへて

 いつまでか世に 有明の月


(このようにつらい身で、長らえていつまで世にいるでしょうか。有明の月のようにはかなく消えてしまうでしょう。)

たいそう心が苦しそうなのですが、だんだん明け行く景色なので、聞くのも果ててしまうように出て来るのは間違いなく右大将であったのでございます。権中納言は右大将の直衣(ノウシ上着)の袖を控えると、
誰だ」と見返れば、あの権中納言であったのでございます。
このような軽率な態度を見られた事が他人よりは悔しいのですが、さりげなく立ち止まれば、権中納言は、「自ら契った人とも思わず、殊の外離れて、捨てられてしまった悔しさに、こんな事を今さらいってもしようがないと思いながら、いわざるを得ない心のもどかしさを思ってもみよ・・・」といいながら、涙をほろほろこぼしていると、微笑んで、「いかなる旅寝をなさったんですか。名残の露が乾いてないような様子ですよ」と右大将が申し上げたのでございました。

さらにつづけて、「本当は心からお聞きしたいのですが、位の低い貴人であればふさわしいのですが、我々は相当の位になっております。御聞きしないのを疎かに思われるのも確かに道理でございます。改めて参って申し上げましょう。お詫びもその時させて頂きます」と申し上げる右大将の様子を近くで見ると、本当の男としか思えないので、返す返す怪しくて、立ちはだかっていたのでございます。

次第に明けて来て、空も雲がないので、つくづくと眺めると髭のあたりが青ずんでいるので、「いったいこれは誰なのだ。あの女(ヒト)は何処へいってしまったんだ」とばかり思っていると、「たいそう明るくなったので見苦しい」といって、宣耀殿へ参って、侍女などを起こして尚侍の君をお迎えにいかれたのでございました。


百六十三 五月雨の晴れ間

権中納言は、一通りではなく昔に戻った様に心が乱れ、「落ち着いて対面して、事の真相を詳しく聞いてみたい。この男の右大将は、男装していた女の右大将に、見分けがつかないほど似ているので、同じ血筋であるはすだ」と思い夕風の涼しい時に右大将の二条邸にお行きになったのでございます。

右大将は右大臣邸に行かれて留守であったのでございます。人影も少なく長閑だったので、残念で帰ろうとしていると、たいへん美しい琴(キン)の琴(七弦の琴)の音色が風に薫(カオ)るように聞こえて来たのでございます。余りにも見事なので、しばし立ちどまって聞いていると、箏の琴(十三弦の琴今の箏の原型)や琵琶なども一緒に流れてきたのでございました。

その中でも、琴(キン)の琴はこの世の物とは思えないので、たいそう奥ゆかしくて引き返し、中門の南の塀(ヘイ)の外に薄(ススキ)の多く生えてる中にそっと隠れていると、寝殿の南と東の格子戸を二間(フタマ)ほど上がった中で弾いているのでございます。

たいそう風雅で奥ゆかしく思っていると、「弾いている様子もぜひ見てみたい」と思っていると、日頃降っている五月雨(サミダレ)に晴れ間が出てきて、夕月夜の月が曇りなく出て来たので、若々しい声がして、「珍しいことですわ。今は誰も見ていません。ご覧下さいませ」といって、簾(スダレ)を上げて縁に出るのでございます。

嬉しがって夕月夜を見ている女は白い単衣に何色かの裳(スカート)をはいている若い侍女でございます。内にいた二人ばかりが縁に出ているのでございます。箏の琴を弾く女が上がった簾(スダレ)の付近に、今滑りおりたところでございます。ほそやかで、髪と頭、様子から若い侍女でございましょう。


琴(キン)の琴と琵琶を弾く二人の姫君は、柱と柱との間におられるのでございました。雲のない明月の中で、こちらを向いておられたので、よく見えたのでございました。


百六十四 琴の人琵琶の人

琴(キン七弦の琴)の人は少し奥におられて、琴を押しやって横になり、月を眺めている視線、額、頭、髪のかかりなどを見ると、たいそう気高く優美であるのでございました。

権中納言は、今まで多くの女性を見尽くして来たのですが、これほど奥ゆかしく優美である人は、見たことがない気がするのでございます。ふと目に留まったのですが、これが吉野の宮の姫君であることが分かったのでございます。この姫君たちは日本の外で育っておられたので、多分平凡であろうと思っていて、逢ってみたいと思わなかったのは浅はかであったと思われるのでございました。

つくづくと眺めてみると、「宣耀殿の尚侍(ナイシノカミ)がこの様な感じであった」と思いだし、あの女は特に変わった様子はなかったのですが、少し上背があって小柄ではなかったのではと思いだし、手触りは劣るほどではないけれども、すこし骨太であったのでございますが、この姫君は優美でどこまでも気品があり、容貌や様子も、「めったにない人だ」とご覧になり、例の権中納言の女好きは、今は名残もなく真面目になっておいでですが、ふと色めいてゆかしく思ってしまうのでございました。


今一人の吉野の妹君は、琵琶に身を傾けて、縁側をご覧になっているのでございますが、ふくよかで愛らしく童顔でとても可愛らしい方でございました。

権中納言は、「様々に見所のある方々だ。今まで見てきた尚侍の君、右大臣家の四の君、行方不明になっている宇治の橋姫(実は今の尚侍)などは、類いなき容貌と姿であると思ってきたのですが、この妹君は童顔で、少女っぽいのは四の君には敵わない」とは見えるのですが、優雅で気高い様は妹君の方がはるかに上であると見えるのでございました。

「この琵琶を弾く妹君は、童顔でとても愛嬌があり、可愛い様子は誰にも勝っておられる」と見えるので、今の心境は辛い過去も寂しい将来も忘れてしまっているのでございました。

権中納言は、物思いも忘れてご覧になっていると、月も影がなく澄みのぼって来るままに、心を澄ますようにかき立てる琵琶の音がこの世のものとも思えず、何某(ナニガシ)の大将の笛の音にひかれて天つ乙女が降りて来て耳を傾けたというが、今度は琴(キン)を弾く姉君も起き上がって、ほのぼのとかき鳴らすと例える事が出来ないくらいすばらしいのでございました。

愁いを含んだ心の澄むような琴(キン)の音(ネ)を、澄んでいる月夜に限りなくお弾きになる姉君の容貌、姿はもとより、今は世に絶えてしまった楽器を珍しく伝授されてお弾きになるのが有り難く、涙さへこぼれてしまうのでございました。


あの宇治の橋姫のことで悩んでいた権中納言の心のどこに潜んでいたのか、この女たちの愁いを秘めた親しみやすい気配や姿に、言葉をかけて聞きたくなる心が湧くのも当然なのですが、やはり右大将の様子を確かめたいという情熱から、とてもこの人たちを見過ごすことは出来そうもないのですが、「権中納言なんてそんな男さ」と他人の噂を聞きつけるのも面倒であり、好くない事と理性でどうにもならぬ感情を抑えつけるのが辛いところでございました。

この妹君ならいいよってはならない人ではないのですが、この二条邸でこのような色事をするのは好ましくない事なので、「どうしたらよいか」とお思いになるのでございました。

百六十五 物思う権中納言

月も西の空に沈んでしまったので、琴(キン)の人は内に入ってしまわれたのでございます。琵琶の人は縁側を眺めて、箏の琴(13弦の箏今の箏の原型)を弾く侍女と何事か談笑している様子でございました。

それぞれ、吉野の里のことなどを語り、風流なこと、面白かった花紅葉の折々、雪のことなども語っているようでございました。何となくとりとめもないことなので、いつまでもこのようにしていると人に見られそうで、煩わしいことになると面倒なので、そっと立ち去るのでございますが、そのまま残っている魂は姫君の袖の中に入ってしまっている心地がするのでございました。

ただ眺めただけで、挨拶の一つも出来なかったことが残念で、今になると宇治の橋姫のことだけではなく、このことも重ねて嘆かわしくなるのでございました。想う人は様々あったのですが、そのどれもが報われず、夜が来ると伴に独り寝のみで明かし暮らしているのも、しばしならよいのですが、実に具合いの悪いことであったのでございます。

在りし日の琵琶の月影の人ともっと近くに寄って語れたらと、何とはなく可愛い姫の姿も思い出して、「どうしていい寄ることが出来なかったのか。右大将はどのようにもてなすつもりなのか」とこの頃はその事で、行方不明の宇治の橋姫のことを悲しむ心を時々慰めているのでございました。

右大将は、「この妹君を権中納言に逢わせようか。尚侍の君もはっきりはいわないけれども、幼い若君のことを心配しているので、このような縁がなければ、どうして幼い若君のことを尋ねることが出来ようか」などと思い、次第に決心がついて来たのでございました。


百六十六 六月の夕涼み

六月十日余りに(新暦では7月下旬)、二条邸で泉などたいそう風雅で、池に面する釣殿がたいそう涼しげなので、尚侍(ナイシノカミ)、宮の姉君や妹君などを伴って、廊下を通りしかるべき殿上人(テンジョウビト中級貴族)、上達部(カンダチメ上流貴族)も加わって、漢詩文を作り歌を詠んだりして、昼から清遊しておられたのでございます。月がのぼって来ると、権中納言にお手紙を差し上げたのでございました。

蔵人の兵衛佐(ヒヨウエノスケ)といって右大将の母上の甥である人が権中納言に奉ったのでございます。


主(アルジ)ゆゑ 問はるべしとは 思はねど

 月にはなどか たずね来(コ)ざらん

(私が主人などで、必ずお越しなさるとは思いませんが、月が風情がありますので、お越しになりませんか。)

使者は、「すぐにでも御供出来るようにしております」というので、
権中納言は「これはどういう事なのか」と一瞬戸惑ったのですが、冷静になり、

月の澄む 宿のあはれは いかにもと

 主人(アルジ)がらこそ 問はまおしけり

(月の澄む宿のどんなに風雅かと、ご主人の人柄から察しても、お訪ねしたく思っております。)

「これからすぐ参ることを、まず申し上げて下さい」といって、何ともいえない香を薫きしめて、念入りにお召しになった直衣(ノウシ高貴な男の普段の服)姿で参上なさったのでございます。

釣殿に月は影がなくさし込んで、右大将はゆったりした直衣(ノウシ)に、唱歌を小声で横笛を吹きならしつつ、権中納言を御待ち申し上げておられたのでございます。

客人の君に琵琶をお渡しになりお勧めなさったのですが、在りし日の月影にすばらしい琵琶を聞いておられたので、「世に類いない音色を聞いたので、どうしていいかげんに弾くことが出来るでしょうか」と思って、手に持とうとされないので、「お勧め申し上げたのですが甲斐がありませんでした」と、笛を吹きつつ申し上げていると、少し琵琶をかき鳴らしになったので、音が澄みのぼり、たいそう目出度いのでございました。

大将の笛の音(ネ)はいうことがないので合奏は限りないのでございました。左衛門督(サエモンノカミ)箏の琴、宰相ノ中将笙(ショウ)の笛、弁の少将が篳篥(ヒチリキ)、蔵人の兵衛佐(ヒョウエノスケ)が扇を鳴らして拍子を取り「席田」(ムシロダ)を謡う声もたいそう好ましいのでございました。


百六十七 昔の橋姫

大げさな遊宴ではないのですが、趣があり面白く、権中納言は琴(キン)の音色のみが心に残って、「かような夜は、女性が交じるのが優雅ですよ」とのみ申し上げると、右大将は、「姫君の琴(キン)を交ぜたら如何にすばらしいだろうかか」と思われるのでございました。

杯(サカズキ)を重ねて来ると、人々も酔って来て、次第に夜が更け行くのですが、権中納言は他のことは一切忘れてしまうのでございました。彼は、「どういう事情があったのか、在りし日の宇治の橋姫がこの簾(スダレ)の中にいるかも知れない」などとこちらより話しかけて、相手の様子を知りたいのですが、御簾(ミス)に几帳を立てて、侍女たちの出入りもあるので、忍んではいるのですが、在りし日の宮の姉妹もおられそうなので、見に行くのも気が引けて、身動きはなさらないのでございました。

人々も半分は退出している頃に、権中納言は右大将の近くによって、「わざわざ呼んだのであれば、然るべき土産があってよいはずだが・・・」と申し上げれば、右大将は、「どうしてなしで済みましょうか、普通ではない引き出物がなければ、日頃のお恨みはなくならないでしょう」と、微笑んで申し上げると、権中納言が、

昔見し 宇治の橋姫 それならで

 恨み解くべき 方はあらじを

(昔見ていた宇治の橋姫がいないかぎり、恨みを解く事は出来ないでしょう。)

「如何なる世になったら忘れられるでしょうか」といって、涙を拭いになると、右大将が、

橋姫は 衣片敷き 待ちわびて

 身を宇治川に 投げてしものを

(あの橋姫は衣の半分を敷いて、愛しい人(権中納言)を待ちわびて、身を宇治川に投げてしまわれたのです・・・)

右大将は、「もういらっしゃらないのです・・・。どうしようもないのです・・・」と天を仰ぎ見る様子でさっぱりとしているのでございました。


つづく


百六十八 ありし月影の人

なお矛盾しているので、権中納言は、「二条邸にわざわざ呼んだのであれば、そうはいわれても、宇治の橋姫について、このあたりではっきりさせたいと」思われたので、たいそう酔っていることもあって、今宵の引き出物もほっておくことも出来ないので、「今宵はここに泊めてもらいましょう。」と仰ると、右大将は「ここは軽々しいので、こちらにお越し下さい」といって、御簾(ミスダ゙レ)の内に導き入れて、右大将は宮の姉君を伴って、向こうへ渡ってしまわれたのでございます。

権中納言は、「もしかしたら、かって愛していた人か」と心が騒いで寄り添うと、几帳の中に慎ましくおられた人の手触りや様子を見て、「ああ、可愛い」とふと思ってしまったのでございます。「在りし日の月影の琵琶の人であった」と不足なしに思えるのですが、「あの宇治の橋姫ではなかった」と、それには失望したのですが、琵琶の人の人柄、可愛い童顔で、心の美しさで慰められて、過去に様々な事があって報われなかったことを思い出すのですが、半分以上が癒やされる心地がするのでございました。

在りし日の夜の月影に、ほのかに見初めた時より、思っていた心の中などを、濃やかにしきりに語り明かしなさったのでございます。右大将は聞き驚いて、御手水、お粥などをご用意なさり、侍女の装束にも気を付けなさったのでございます。

日が高くなって宿泊して起きて見ると、宮の妹君をご覧になると、二十歳にならないほどの、若くてかわいげで、飽かないほど整って華々と愛嬌があり、「類いなきと思っていた人にどうして劣ろうか」と見えるのも、物思ひの慰みになる心地がして嬉しく思うのでございました。

物を申し上げるのも控えめなのですが、ひどい内気でもないのでございます。「そうであって欲しい」と思えるほどに、仰る言葉にも余韻が込められているので、「逢う甲斐があり、理想的だ」と思われて、その日は一日中話し合っておられたのでございました。

百六十九 男同士の会話

今、右大将から使いが来て、「酔いのまぎれに、乱れがわしき失礼もあって、そちらに参ってお詫びをしなければ、いけないのですが、酔いを覚ましている内に時がたってしまい、こちらの母屋にお越しになりませんでしょうか・・・」
と御聞きになったので、権中納言はそちらにお越しになったのでございました。

寝て起きた朝の顔は二人ともすっきりしておられました。落ち着いて身の上話を申し上げたのですが、宇治の橋姫のことは一切話さないので、権中納言にとっては物足りないのでございました。

権中納言は、「こちらの人には全く無用の者と思い捨てられてしまったと思い、出入りを遠慮しておりました。この何ヶ月か幼い若君の事をも、お訪ねにもならないので、どうともと申し上げることもしませんでした。実はこうまでお考え下さっていたとは信じられず、疎そかではないことを待ち望んではおりますが、こうなってみると現実のこととは思われません。やはり悩みが高じたあげく、私の現実感覚が失われたのだろうおもいますが・・・。行へ知らずの女の形見として世話をしている子も、さすが私も男の身ですから、少しも離れないでいるわけにもいきません。今はもうあなたがたのお側近くに預けることができたら、安心であると思います」といって、絶えきれずほろほろと涙をこばされるのでございました。

右大将は、「全くそう思いになるのも当然とは存じますが、あなたの過失でもなく、私の過失でもない事ですから、申しあげようもありません。あの方とご一緒になることが望ましければ、そうすることが解決の糸口になるのではないかと思っております。思いがけないことかと存知上げますが、ご満足頂ければこれほど嬉しい事はありません」と申し上げるのでございました。

「実際、こうしたことがないと、現世をに生きながらえる命も危ういかも知れません」などと、権中納言も仕方なく返事をしておられるのでございました。


百七十 慰めを得て

権中納言は、宇治で茫然と涙ばかりを相手にして暮らすよりも、ここでの方が心も慰められる思いがするのでございました。右大将邸にも、しかるべき時はお出かけになって、琴・笛の音(ネ)も詩文の道も、同じ気持ちで話し合いつつ過ごしておられるのでございました。

吉野の姫君の妹君も、なじみを重ねても満ち足りないことはないので、権中納言は「とても嬉しい」と思われて、ご愛情が深くなっておられるので、右大将も安心しておらるのでございました。

世間では、「右大将の吉野の姫君の妹君には権中納言がお通いになっているそうだ。右大将がお引き合いにならせたそうだ。右大臣家の四の君の件で疎遠になった仲も回復したのは、右大将の御心の度量が広かったからだ。どうなっていたかも分からぬことを、このように処遇された右大将をお褒めしなければいけない。権中納言はかくしたものよ」と、噂がたっていたことを、権中納言は返す返す思い返しになるが、在りし日の月影の琴の琴の姉君の容貌、様子が身を離れない心地がするので、さりげなく、「しかるべき機会が」と伺っていたのですが、姉君が遠くにもてなして、すこしの隙間も与えないようにしてるのが残念であったのでございました。





冬の巻第四章をおわります。



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