二 夏の巻 第一章 女君出産

五十四 女君出産

吉野山の峰の雪を懐かしく、中納言は宮のもとに疎遠と感じられない程度には訪れておいででございました。

宮のところへ密かに通っていることに右大臣の怪しみが解けない間に、月日ははや過ぎて、女君の御出産間近になって来たのでございました。

右大臣は出産の危ういことを恐れて、読経(ドキョウ)、修法(ズホウ密教僧の祈祷)を盛んに行っておられましたが、左大臣の大殿も「世間の目におかしくは思われないだろう」と始められたご祈祷の声が廷内に満ちる程であったことなどのしるしであるのか、かねてより女君は晴れ晴れしくなく、病みがちでございましたが、たいそうな安産で、美しい女児をお生みになさったのでございました。

思った通り、行く末は最高位の皇后になることが見込まれるような美しい女の子で、右大臣は大いに喜ばれ、産屋の景色も出来るだけ善美を尽くし、熱心にお世話なさることは例にないほどでございました。左大臣の大殿は、湯殿のことなど、気をつかわれる有様もひんぱんでございました。

右大臣の奥方が世話しく幼子(オサナゴ)をあやしておられるのを中納言がご覧になると、宮の宰相に似ていることに間違いがないので、「やはり」と胸が痛くなりそうで、「疎い人ではなく、昔より親しく、傍らにいた人と間違いを起こしたのか、まろを怪しく思い、愚かな奴と思っているであろう」とはずかしく、胸が痛み複雑な気持ちになるのでございました。

子を産んだ女君は、出産が大変だったことの名残(ナゴリ)に綿などを頭にかぶり、所狭しと臥せって寝ておられたのですが、中納言は近寄って「ちょっとお聞きしたいことがあるのですが」という声に驚いて見上げなさると、平生の時でも、中納言に会うと自分の方が気が引けて来て、並の人ではお目にかかりにくいのに、まして女君には心中に秘密があるのでいたたまれない思いがするのですが、中納言は例の様に微笑んで、これは如何にお聞きになりますかと申し上げ、

この世には 人の形見の 面影を

  わが身添えて あはれとや見む

(この世にいる限り、他人の面影を持った子を、わが子として可愛いと見ていかなければないのでしょうか。)

と仰るのですが、女君は恥ずかしさに何がいえるでしょうか。夜具に顔を隠してしまうのも仕方がないのでございました。

ともあれ、中納言はこの世を捨てるつもりなので、世の人が思う言葉を聞いても、もはや意味がないのでございます。全てはわが身の世間並みでない過ちにこそ原因があり、思うことも言うことも、それに尽きる心地
がするのですが、涙さえ落ちるので「このように世間では騒いでいるが、不吉だと思っている人もいるかも知れない」と思うのですが煩わしくなるので、中納言はその場から立ち去りましたが、女君の心は辛さで消え入りそうになるのですが、いったい誰がそのことを知るのでございましょうか。

世間は一重に喜んで、右大臣奥方は産湯の役、左大臣の奥方は迎え湯の役などど賑やかであるのですが、中納言の様子が「無表情過ぎる」と見届ける人もありましたが、「人柄からして冷静で、態度も落ち着き、静かにしておられるのだろう」と多くの人は見なしておいでになったのでございました。

五十五 七日の夜

誕生七日の夜(ヨ)、右大臣家の御産養(オンウブヤシナイ)の日に当たり、上達部(カンダチメ)、殿上人(テンジョウビト)など残りなく参上されているにも関わらず、宮の宰相のみ病でお休みでございました。ご出産は大丈夫であったかと人知れず思い悩んで、無事を祈りながら人の耳から聞いて遠くから思っておられましたが、気が気ででならず、左衛門の局(ツボネ)においでになったのでございます。

「これほどの契りを交わしながら、逢えないのは我慢が出来ない。今宵こそはほんの少しでも」と左衛門に懇願なさるのですが、「いくら何でも、今日は無理」と思いながら、奥に行って見てみると誰もいず、年輩の侍女が台所であれこれ指図して、母上はしかるべき人の引き出物を検分などされていて、ご自分の部屋においでになっていて、女君は湯浴みをされた後で、やっと一人で臥しておいでになっていたのでございます。

「これは、あり得ないような機会かも知れない」と判断して、灯りを暗くして女君の部屋にご案内したのでございます。女君が「都合のよくない時に」と思われながらも、しばらくぶりの関係にうっとりして、逃れることの出来ない状態になっていたのでございます。

薄明かりに、優雅な女君の肌は白く、白い衣などを身に着け、頭には白い綿がうまく散らされて、豊かに長い髪は可愛く結って下に垂れているのでございました。宮の宰相は「これこそ、まことに美しく、長らく待ち望んでいた姿だ」と思い、全てが薫るようでたいそう優雅で懐かしいほど可愛いのでございました。

あらゆる困難を乗り越え、少しの隙もなく女性の心をつかんで来た宰相ノ中将の「深くあはれと女性に思われたい」と尽くして来た言葉や態度は、如何なる石や木も靡(ナビ)いてしまう程であり、女君も心強くなくつい涙が出てしまい、たいそう感動的な情景に離れる気にもならないのでございました。

中庭では、中納言が例の美声で、「伊勢の海」を舞っている声が優れて面白く聞こえて来るのですが、「この様な美しい女君を心のままに眺めながら、一体何故疎んじるのだろうか。この様に美貌で薫るような優雅な人がいるのに、たいそう真面目で、怪しいほど身を修め、物思いにふけっているのは、外に心の移らない人でもいるのだろうか」とゆかしいこと限りないのでございました。

五十六 しるしの扇

まだ祝宴は終わらないのですが、衣を祝儀として脱いで与えたのですが、たいそう寒くて、お忍びで着替えの為に女君の部屋にお入りなると、几帳の中で慌てる気配がして、中を見ると几帳の中にいた者は几帳の外へ出て行ってしまったのでございました。ひどく慌てていたせいか、化粧紙や扇などを落としていたのでございます。

女君は「大変だ」と思って、隠そうとする機転もないままに、中納言は落ち着いて枕の辺りに落ちていた扇を拾って、火元で見れば、赤い紙に雪の降っている絵が描かれていて、裏の方には自分の気にいった言葉が書いてあったので、宰相ノ中将に間違えがないことが分かったのでございました。

「やはりそうだったのか」と思い、「このように紛れて来る為に、今日は来ていなかったのだ」と思ったのですがが、卑怯なことをする奴だと思っても、たいして腹が立ってはいなかったのでございます。

「男とはこんなものだろう。女は産後でも余り深くは考えないが、それにしてもはしたない。今に始まったことではないので、仲介している女も知らないわけではない。この様に示し合って、かなり打ち解けて行き来するのは、かなり深い関係になっているのだろう。宰相ノ中将は嬉しいと思っている様であるが、少し見劣りがするのではないだろうか。宰相ノ中将はもっと奥ゆかしい人が好みではなかったか。まろのいない時も多いが、打ち解けるのはいいが、この様に騒がしくしていれば、見かける人もあるだろう。人目につくことが、まろにしてもそちらの人にも困ることである。この世をどう渡って行けばいいのか。といって、こないだの様に世間から消えてしまうのも、人が聞くとたいそう軽々しい。されども、互いに人目を避けることが出来なくなっているのを、知らぬ顔するのも情けない」と思い悩んで、管弦の遊びや何やかやとあるのですが、余り熱が入らないのでございました。

この御出産のことが過ぎれば、中納言は、吉野山の人々に会って気持を慰めるつもりでございました。そのことは既に話しているので、くどいので書くことは控えたいと思っております。




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