春の巻 第六章 吉野山の宮廷へ

三十九 吉野山の宮の話

その頃吉野山で、宮と申し上げる人がございました。

先帝の第三御子(ミコ)でございました。あらゆることに秀でており、世間の人がすること、いろいろな才覚、
陰陽(オンミョウ占い)、天文、夢解、人相術ということまで、道を究めた人でございました。昔は遣唐使として、十二年に一度唐(モロコシ)にしかるべき人を遣わして、かの国の文化を取り入れたのでございます。

しかし、末の世になりますと、人の顔つきが変わり、文明の程度も落ちてきて、唐に渡る制度はなくなったのですが、宮は唐に渡ることを乞い願い、お渡りになったのでございます。

お渡りになると唐の役人が「日本(ヒノモト)から沢山の人が渡って来ました。我が国にも賢い人は多いのですが、数々の才能でこれほど賢い人はないのではないか」と驚かれたのでございます。

唐の国の第一の大臣が、比較にならないほど大事にしていた一人娘の婿に、宮をお迎えになったのでございます。そしてお世話をしている内に、ひきつづき女子二人をお生みになり、何と亡くなってしまわれたのでございます。

日本人ではありませんでしたが、相性のあった妻で、唐ではありませんが、日本の都でお目にかかった女御、后(キサキ天皇の正式な妃)、帝のご息女などの中で、これほど美しい女性を見たことはございませんでした。

それだけ想いを込めていましたので、日本に帰る気もしなかったのですが、世の常とはいえ、大切な妻を失った悲しみは言葉では表現出来ないほどであり「しばらく唐で身を置き出家して身を隠そう」と思っておられましたが、形見のそれはそれは美しい二人の姫君と別れることが悲しく悩んでおられました。すると、父親の大臣も娘を失った悲しみの余り、命の綱が切れるようにして、亡くなってしまわれ、生きる頼りを失ってしまわれたのでございました。

生きる気力を失っていた時に、その当時の大臣や貴族が「婿を取りたい」といって来たのですが、傷心ゆえに断ったのですが、逆に恨まれて殺される噂を耳にしたので、惜しからぬ命とはいえ、よくも知らない国に我が身を虚しくすることが悲しく思われるようになっていったのでございます。

お互いに愛し合う人がいてこそ、昔の祖国を忘れることが出来ますが、唐が実は生きにくく怖ろしい国であることが分かると、祖国へ帰りたいという想いが強くなり、二人の姫君と一緒に帰ろうとしましたが、海竜王(海の邪神)のせいでか、女を連れては海では帰国出来ないと知り、如何ともしがたい状態になってしまったのでございます。

亡くなった大臣の子息に相談したところ、よい船便があると聞いて、娘二人を連れて逃げるように船に乗ったところ海竜王の心が変わったのか、船のよどむこともなく、よい風が吹いてすいすいと送られて、無事帰国出来たのでございました。

四十 さらに吉野宮の話

「自分の過去を世の噂にもされたくない。唐の女との間に出来た子供がいるとも言われたくない」と思っていましたが、姫君たちを分からないように隠して京の都にお上りになったのでございます。

唐は遙か遠くになり、奥様が亡くなり煙になり空の雲に消えても、奥様のことが忘れることが出来ず、娘たちの頭を撫でては慰めにされてたのでございます。

また、妻と呼ぶべき人を身近に置く気にもなれず、悲しみに沈んでいるのでございました。ところが、なんとしたことか「この皇子(ミコ)は朝廷に謀反の心があり、我こそ国の王になる筋道であると思っている」という偽りの訴えがあり、遙か山奥へ放置されそうになったのでございます。

宮は悪夢のようにお聞きになり、「全ての原因は、この世で俗人のままにいるのが間違っていた。心はあの世に向いていながら、姫君の世話をして、宮として交わっていて、姫君の世が来るのを待っていたのが間違いであった」とお思いになり、髪を下ろして仏門に入り、吉野山の山麓に御領地があったので、姫君を伴い、何処とも分からず、人にも知られないようにして、御領地に移り住んだのでございました。

鳥の鳴き声が懐かしく聞こえて来て、訪れる人も少ない吉野の山麓に埋もれるようにしてお過ごしになっていたのでございます。姫君たちのお顔やお姿は、しみじみするくらい美しく、軽くかき鳴らす琴の音も唐国(カラクニ)の本筋が感じられて、たいそう優れておられ、今は知る人も少なく、宮がこの世を全く離れてしまわないのは徹していないようですが、「姫君がこの世へ出る道は自ずからやって来るだろう」と深く思い悟って、契りを定める人が必ず出て来ることを、お待ちしているのでございました。

四十一 中納言の関心

中納言は「何とかして俗世を離れたい」とお思いになることが多くなり、桜や紅葉をみるにつけても、四方の山辺を訪ねて、「人に行方を知られないで、籠もることの出来る谷や峰で、良いところはないだろうかと思い巡らせている時に、吉野山の宮の身の上を詳しく知っている人がいて、「宮の住みかは、世を離れている聖(ヒジリ)の住みかと見えながらも、水の流れ、石のたたずまいにも、都には目慣れぬ様子で、悩みを癒やすには絶好のお住まいです」と語る人の噂を聞き、その様な人がおられたとは何処かで聞いたことがあると思うのでございました。

中納言は「世を離れるのでも、山伏などに立ち寄って、その人の弟子になるのも恐ろしく心細いのですが、その宮のお心や様子は平凡ではないだろう」と思い「今まで直接聞いたことはない」とお思いになり、それを語る人を召して、「何のゆかりで、親しく知っているのだ」と訊ねると、「伯父に当たる人が、かの宮様の弟子で、夜昼も離れないで仕え、仏道に熱心で、用があって時々お会いすることがあります」と申すのでございました。

「それは嬉しい。その宮にお会いし、絶えたる琴を習ったり、見たことのない書物を見て、所々尋ねて見たいものだ。都を去ってしまわれたお心から、お会いしてもらえそうにない気がするが、宮のお心を賜りたいものだ。よろしければ、すぐにでも密かにお伺いしたい」とたいそう丁重にお話になったのでございました。

「それはたやすいことでございます」と申し上げると、「それなら近々参上して下さい」と仰ると、承知して出かけたのでございます。

四十二 つてを得て

吉野山の宮に詳しい人が、宮の弟子の伯父の僧に、「殿の権(ゴン)中納言殿がこのように申し上げております」と詳しく申し上げれば、

「前のことになるが、さるべき人がこられてご口上を申し上げたが、まだ生きていたと人に知られたくないと、お断りになり、この四五年は訪れる人がなかった・・・。どの様になるかは分からないがご意向を伺ってご返事申そう」といって、しばらく待たせて、宮に

「わざわざ私の甥を通してご口上がありました」と申し上げると、しばし思案なさって、お語りなさるのでございました。

「あれほど栄華につつまれて、美しい蝶や花にお気に留めていればよいだろうに。私のことをどうお聞きになったのか、この深山(ミヤマ)にお心を向けたのだろうか。何かしかるべきご縁があるのであろう。嬉しいことだ。お迎え下さい。」とたいそう気にいったご様子であったのでございます。

あっさりご承知なさったのも不思議であるが、「何か納得なさる点がおありなのであろう」と推測して、
「とても無理でお帰りになるのを予想しておりましたが、お気に召してご承知なさいました」と甥に語ったので、喜んで帰り参上して、中納言に詳しく申し上げたのございます。中納言は、やっと願いが叶った思いで、嬉しさがこみ上げて来たのでございました。

四十三 中納言の訪問

中納言は「畏れ多いことだ、このことを人に言ってはならぬ」と口止めをなさるのでございました。

「この度は出家はするべきではない。宮も浅はかだと思し召しになるだろう。また、よろしいともお引き受けなさらないだろう。ただ、宮のご人格を拝見して、あの世まで頼むべき人だと約束し申し上げて、この度は帰ることにしよう」と思いになるのでございました。

「夢見が悪い」と告げる人があるので、お清めの修行をしに七八日ばかり山寺に行ってくる。行く先を知られては、人々が来たりして心も乱れて修行も打ち込めない。など言い紛らわせていたのでございます。

女君にはしばらく留守にするのが気になるので、不安を思う由をしみじみ親しくお話になるのでした。密かに通じている人が出来てからは、昔の様に心一つになれないのが残念なのですが、女君は通じている人の契りも浅からぬ中になり、中納言には申し訳がなく、悲しくつらく泣きそうになるのでございました。

中納言も「女君を責めるべき身の上なのか」と顧みて、余り女君のすることに見聞きをなさらないのが却って女君には冷たく思われるのでございました。

お供はごく仲の良い人ばかりで、乳兄弟のような人、親しく思う四五人ばかりで、お忍びで出かけられるのでございました。

九月(新暦の10月以降)の頃になると、山村では紅葉の景色も美しく、見知らぬ山道を深く分け入りなさると、心も寂しく「殿、母上はどうしているだろう」と懐かしく、「仮の出家の道なのにこの様に寂しのなら、本当に出家するときは如何ほどであろうか」と思い知られるのでございました。

涙が先にでるのは不思議である。本当に出家する道でもないのにとつくずくと思われたのございました。

四十四章 宮の予言

旅立つ道しるべの者が先立ちて、宮の本に参上致しましたので、宮はご用意を整えて服装もあらたにして、お待ち申し上げ、中納言が参上するとご口上を差し上げたために、中納言らは、たいそう畏(カシコ)まってお入りになったのでございました。

中納言は、浮線綾(フセンリョウ)模様の線をうきぼりにした織物)の、所々秋の草を尽くして織っている指貫(サシヌキ袴)に、金銀を用いて描いた布の狩衣(カリギヌ野外用の上着)、その上に紅色の衣を羽織った姿は、光を放ち華々しくてめでたく、今極楽のお迎えがあって雲の乗り物が寄ってきても、尚留まって見たくなるようなご様子でございました。

宮は「何事も皆惜しくもあせて行く末の世ではあるが、この様な方がいらっしゃるとは」と驚かれて、しばらく見守っておられると、中納言は座にお着きになりました。宮のご様子もたいそう清らかな方で、仏道に専念されているのか色白で、上品でさっぱりとしておいでで、想像以上に若く清らかでいらしゃったのでございます。

お二人のお話もだんだん打ち解けていくと、宮は中納言を「才能はこの世にないほどで、事々に優れているお方だ。どうしてこんな風になられたのか」と珍しくお思いになるのでございます。

「姫君たちが世に出るしるべになる方である」と御心の内で悟られたのでございます。

宮も親しく打ち解けて、昔からのことを、唐土(モロコシ)にお渡りになり、悲しくすさんだ世の中をみて、この世の者でないような姫君を見捨てることが出来なくて、例がないような謀反の疑いを賢明に身を処して、吉野の里に逃れて隠れ住んでいるのですが、姫君のことをきずなにして、これより深く隠遁(イントン)出来ないゆえをお話されるのですが、中納言は、余りに過ぎた聖(ヒジリ)とも思えないとご覧になるのでございました。

気品があり、あはれで控えめな宮のご様子を見ていると、中納言も涙を留めがたくなり、「そういうお身の上でしたか。まろとてただ今の身分は、人より心細くみじめではないのですが・・・実は幼き頃より何故か世間と違い、人に似ぬ有様で、ようやく物事の事情が分かって来た頃には、どうしようもなく世にあり難く、思い悩み、ついに身を隠すところがあればと思うようになったのでございます」と泣く泣く申し上げるのでございました。

宮は「今のお心では思いにくいことかも知れませんが、それはしばらくのことに過ぎません。如何なることもこの世だけで起こることではなく、前世の因縁もあるので、この世で世を嘆き人を恨むのは、心が幼く悟りのないことです。さらに申し上げれば、貴方は身を極める契りがおありです。詳しく申し上げなくても、自ずからそちらに向いて行くでしょう。才覚をひけちらかして言っているように思われるかも知れません。ですから人相を見るようなことはやめましょう。」と仰ったのでございます。

中納言は、「どの様にしてそんなことが分かるのか。今も世間に合わない身を、何故に身を極めるといわれるのか」と不思議に思ったのでございました。

四十五 感動の日々

「姫君のことは、はかばかしい身ではありませんが、世にいる限りは後見させて頂きます。もうご心配なさらいで下さい」と申し上げると、宮が「昔より人にこのようなことを聞かせたことはありません。さらに怪しい問わず語り(身の上話)を申し上げたのも常のことではありません。されども娘のみ、捨てれど捨てることが出来ず、背くことも出来ず、訪れる人がなければ、出逢うことの出来ないことを思い・・・。人の契り、宿命も皆出逢いによることですが、娘たちにこの山に尽くせなどと遺言(ユイゴン)を残すことは出来ません。宿命というものがありますが、やんごとない人に身を委ねよとも言えず、ただ宿命に任すしかありません。先ほどの出逢いも未だ遙かにて、そのことのみが心苦しく、頭から離れたことはございません」と泣きつつ、尽くすことの出来ぬ物語に夜も明けてしまったのでございました。

めでたくなつかしい宮の御前で、物語も唐土(モロコシ)から韓国(カラクニ)まで、予想を超えて滞ることなく、地獄の底から浄土の神髄まで曇りなくお聞きすると、万事満足し、身の嘆きも癒やされて、かつあはれで哀しいことが多く、都に帰る心地もしないのでございました。

この世にまだ伝わっていない書物を広げてお見せするのに、中納言の才能、悟りの妙なること、唐土(モロコシ)にも並ぶ人がないと思われ、「貴重な人」だと驚かれなさるのでございました。

宮が題を決めて、中納言に文章を作らせても、面白いこと悲しいことも唐土より伝えられた書物より上手に作文し、書き出す手の様、筆先の見事なことに感心して「素晴らしく高貴な人を拝見する。神仏の化身として現れた方かも知れない」と驚きになり、うなづく節々があり神仏の化身だと思し召しなさるのでございました。






目次のページ