春の巻 第三章 二人の男
十五 九月十五夜の中納言
九月十五日、月がたいそう明るい夜でございました。
内裏(ダイリ皇居)での詩歌管弦の宴遊にあずかり、そのまま宿直をお勤めになった晩、梅壺の女御が御寝所(帝の)にお上がりになるのを、特に関心があった訳ではないのですが、藤壺の部屋へ通じる塀から見かけますと、夜更けに月がありありと見え、灯りを持つ童(童女)が濃い衵(アコメ一重の上着)に羅(ウスモノ薄い絹物)の汗衫(カサミ上着の上にかける羽織)であろう、透き通って見える衣を羽織って、髪をきれいに垂らして歩んで来たのでございます。
侍女たちも皆つややかな衣に羅(ウスモノ)の唐衣(カラギヌ正式な上着)を着て、今の澄んだ夜空のように美しく見える中で、梅壺の女御が御几帳を立てて、行き届いた手つきで帝をもてなしていらっしゃる様子が余りにも素晴らしいので「あゝ私も身も心も女性の姿になれれば、必ずやこのように高貴な方にお仕え出来るはずなのに、残念だ・・・顔をさらけ出して男のような格好をして世間を歩いているのは、現実のこととは思えない」と思いつづけていると、心が暗くなる心地がして、
月ならば かくて澄ままし 雲の上(エ)を
あはれ如何なる 契りなるらん
(月ならば、このように雲の上に澄んでいることが出来るが、あゝ私は如何なる宿命で、雲の上(内裏)をさまよっているのだろうか。)
「私は宿命を嘆くしかないが、姫君(兄君)は世の常のように、この様な素晴らしい交わりをして頂ければ、きっと幸せになるはずなのだが。私は身を嘆くしかないが、姫君は世の常のようになれば、この様に高貴な方の御寝所にお上がりになり、おもてなすこともきっと出来るはずだ」と我が身のことを思いつづけていると、ここから抜け出して、このまま深き山に行くえをくらましてしまいたいと思いつめてしまうのでございます。その内、梅壺の女御がお下りになり、その姿をお見送りなさいました。
なおも独り言(ゴト)を思いつづけていると「蓬莱洞の月」と述べられ、声はたとえようがないほど澄んで天に昇って行くかと思われるのでございました。
註 「蘭恵苑(ランケイエン)の嵐の紫を摧(クダ)く後、蓬莱洞の月の霜を照らす中(ウチ)」和漢朗詠集上・秋菊・菅三品(カンサンポン)-蘭の咲く庭を吹く嵐が紫の花びらを散らした後、宮廷の庭に寒々とした月光が霜だけを照らすさびしさ-
十六 宰相ノ中将登場
宰相中将も今宵の宴遊にあずかっているのですが、今はただ一途に大殿の姫君(男)のことを思いこがれていて、いつものように「甲斐がなくても、中納言に不満をいったり、姫君のこの世にないような美貌、様子を見たくてしょうがないことを中納言にいって慰めにしよう」と御思いなさるのでございました。
「お帰りにはなっていないのに、いずこの陰に隠れているのであろうか」と探しながら歩いていると、(中納言が)詩歌を口ずさんでいるのを(宰相中将が)聞きつけて、訪ねて来てみると、直衣(ノーシ紋様のある上着)と指貫(サシヌキくくり袴)に紅のあでやかな衣を羽織って、小柄に見えるけれども、若くて美しく、月影に光って見えるのが何とも素晴らしいのでございました。平素よりはしみじみしてる態度、気配で、袖がすっかり濡れていて、通常ではない珍しい香(コウ)が薫っているので、「男の自分でさえ魅せられるのだから、ましてこの人に声をかけられたら、聞き入れない人はいないであろう」と羨ましく思い、遠慮がちになって恋の悩みなどを訴えるのも、却ってあでやかで風情があり、粋で好ましいと思われるのでございました。
十七 二人の男
全てに置いて、身に親しくしたり語り合ったりしないで、遠くから物を見て、よそよそしくして過ごして来た中納言でしたが、宰相中将ばかりには突き放しがたいので、「その様に仰っても、言葉巧みな貴方のお心の方は露草のように変わりやすいのではないかと心配ですが、私としてはお気の毒に思い申し上げる時もあるのですが、自らの心のままに任せることも出来ず、ただ伺っているばかりで、何とも申し訳なくて、どうしようもないのです」とお嘆きになるのでございました。
身の上を考え込んで、深く思いに沈んでいる中納言の様子をみて、宰相中将が「これほど悩みのない身で、何が不満で世を嘆いておられるのでしょうか。余りにことさら気を遣っているのも深く思うことがあるのかもしれません。妻(右大臣家の四の君)にされている人に不満があるとは聞いておりません。常にあの美人の奥様を毎日目にしていて、どおいう訳があって物思いに沈んでおられるのでしょうか。もしかして近頃東宮になられた姫君(女一宮)に想いを寄せておられるのでしょうか。あの方の御身分からすれば決して叶えられないことでもない。それにしても物思いに沈んでいる人は、格別に情緒があるものだ」と推し量り様子をみて、いろいろ取りなし言をいわれるのでございます。
「お悩みのことは、身にかえても、出来るだけ情勢をみて希望を叶えるように致しましょう。分け隔てをなさっていたら・・・」と恨みがましくいうと、中納言もいいようもなく「貴方が私の身になって申し合わせたら、たやすく行くようなお心なのでしょう」と笑って、
そのことと 思ふならねど 月みれば
いつまでとのみ ものぞ悲しき
(そのことと 特に悩むことはないけれど、悟り澄ました月を見ていると、私の苦悩がいっそう感じられて、それがいつまでつづくかと悲しくなるのです。)
歌を詠まれる声も大変美しく、親しみがあるので、この頃の癖で宰相中将は涙をはらはらと流して、
そよやその 常なるまじき 世の中に
かくのみものを 思ひわぶらう
(あれやこれと変わりやすい世の中ですが、このようなことで、どうしてこんなに思い悩まなければいけないのでしょうか。)
中納言が「たいそう罪深い存在だと思っておりますので、このような様子を見るにつけ、深き山にこもり絶えてしまいたいと思っています」と語れば、「そのように思い立つ時には、私を置いていかないで下さい。このような世には居たくないと、しみじみと思うことが年月がたつにつれて多くなりますが、さすがに決心できずにいるのです」と心の内を語り明かしているのでございます。
それぞれ別れても「中納言は万事素晴らしく優れている中にも、際だって濃やかな気配などが、女性のようにみえることがあり優雅である」と慕わしく思うと、すぐに妹の姫君のことが想いやられて来るのでございました。
このように心を尽くして思い惑うことがあっても、中納言が人の立場になって聞き入れる様子がないので、「どうしたらよいのか」と宰相中将は思案に暮れるのでございました。
十八 院の望み
院の上は、今は東宮を離れて、近くで姫君を見守ることもできず、乳母などがいても、たいそう頼りになる人がお仕えしておらず、姫君自身も人として幼いので、姫君を不安に思っては嘆いておいでになるのでございました。
左大臣の姫君(男)が婿取り、後宮入りを断念しているのをお聞きになって、「それなら東宮の後見人にしたい」と思いつかれ、大殿のまいられる時に、こまやかな話をお聞きになるついでに、「中納言の妹はどのようにすると決めておられるのか」とお尋ねになり、「そばに召す気持ちはあるのか」と仰せになったので、(院が召される思って)大殿は胸がつぶれるほど驚きになられたのでございます。
大殿は「とんでもございません、親にも情けないほど内気で、本人に会えば汗をかいたり、気分も不安定になるような子ですから、尼にでもして、寺にでも預けようと迷っているところでございます」と涙ながらに申し上げると「では本気で出家させようとしている訳ではないのだな」と気の毒にご覧になって、「出家などさせることはない。東宮にはしっかりした人が側にいおらず、私とも離ればなれで心配なので、姫君を遊び相手によこしなさい。世間にあれば妃にでもなれるだろう」と仰せになったのでございます。
大殿は中納言のことを思い出されて、「これも何かの宿命なのかも知れない」と嬉しくも珍しくも、様々にお心が乱れて、「それくらいの交わりはしても可笑しくはない」と思って「母親と相談して参りますので」と申し上げて退出されたのでございます。
母親に「このような話しがあった」と相談すると「さあどうでしょう。私には判断がつきかねます」といわれるので、大殿は「中納言の有様をみれば、あれもあの様なことになり良かったのではないか。院の上が仰るように、妃になれるかも知れないし、思いの外めでたいことになるかも知れない。」と御思いになりますが、思いもかけないことが起こるかも知れないと胸も騒ぐ気持ちにもなられて、ご祈祷をあれこれと尽くされたのでございます。
十九 姫君の出仕
「同じ事なら、早く」と仰せになれば、十一月十日頃に参上なさいました。何事に不足があるでしょうか。侍女四十人、童・下仕え八人。ご立派に支度をして参上なさいましたが、世の常なる交わりではないので、これという名目なしでお仕えするのもさみしいので、尚侍(ナイシノカミ)として参上なさったのでございます。
東宮(女一宮)は梨壺においでになるので、尚侍のお部屋は宣耀殿(センヨウデン)になったのございました。しばしば夜ゝお上りになり、一つ几帳の中でお休みになってみると、宮のご様子、肌触りなどがたいそう若く、上品でおっとりとしておられるので、尚侍(ナイシノカミ)はひどい内気なお心でしたが、宮の無心に打ち解ける可愛さに耐えきれず、夜伽の間にどの様にして大胆な振る舞いをなさったのか、男であることをお見せになったのでございます。
宮は驚いて意外に思われたのですが、見た様子も気配もいささかも疎んじる様子もなく、この世にないような美しさとしなやかな体つきなので、「何か用があるのだろう」と、ひとえに良き遊び相手と思われておられるのが、尚侍としても愛おしく思われたのでございました。
昼間もすぐ宮のお部屋にいってお仕えして、手習い、絵かき、琴弾きなど日夜に渡りお供申し上げていると、以前の全てに置いて内気と恥ずかしさに埋もれて、暇をもてあましていた頃に比べると、何事も気がまぎれて楽しいお心地になるのでございました。
二十 宰相中将の想い
今はとても宰相中将は、中納言の妹君尚侍(ナイシノカミ)に想いを寄せているので、東宮の警護の厳しい宣耀殿(センヨウデン)深窓にお籠もりになっている人こそ深く想う方であり、もし宣耀殿から出て来ることがあれば如何に嬉しいことかと思っておられるのでございました。
宰相中将は夜昼宣耀殿の渡りを離れず、大方の様子を伺っておいになるのですが、気高い貴人がおいでになるので、世間の人にも評判になっているのですが「いつの世になったら、私の願いは叶うのだろう」と望みをかけているのでございました。
二十一 中の院の行幸
その年の五節句(大嘗祭・新嘗祭の舞楽)に中の院の行幸(ミユキ宮の旅行)がありましたので、皆小忌(ヲミ)衣を身に着けて参る中で、宰相中将と中納言の青摺(アオズリ)は特に美しく、宰相は身長があり雄々しく鮮やかで、若々しく風情があるのがたいそう好ましいのでございます。
中納言は華々しく、見ていても飽くことがないくらい匂わしく、こぼれるほどの愛らしさは比べる者がないくらいです。態度、様子も男の服装であっても、柔らかくしなやかで、人をひきつける魅力が特に優れていて鮮やかなところが、宮中の侍女などが美しいと憧れているのでございました。
宰相中将は人の気配がするところには必ず立ち寄って会話をなさるが、中納言は外見の柔和さと違って会話をなさらないので、宰相の話し好きで列が滞りになるのを、中納言は横目で見ながら、先に行ってしまうので、「檜隈(ヒノクマ)川があるので、少し馬を停めて水を飲ませて欲しい」とでも言い出したい気分になるのでございました。
見送る人々の中に、心で深く「美しい」と思う人がございました。
二十二 麗景殿の女
御一行の遅れて参る者で申し上げることが有りそうな様子でいるので、中納言が「何事か」と聞くと、麗景殿の細殿の一の口に招いて、これをご主人様に差し上げて下さい」といって、たいそう風雅な文を取り出して差し出したのでございます。
「いや見覚えがないが」とご覧になると、
逢うことは なべて難(カタ)きの 摺り衣
かりそめに見るぞ 静心なき
(逢うことは難しい、貴方の摺り衣を、偶然目にして、心が乱れてしまいました。)
とたいそう風情のある手紙を「怪しい、誰なのか」と微笑まれて、騒がしいので返事を出すことが出来なかったのでございます。
「情がないな」といとおしく思われて、祭も終わり人も静まったので、夜更けの月のあかあかと澄める時に、麗景殿の細殿をとにかく尋ねて、
逢うことは 遠山の 摺り目にも
静心なく 見ける誰なり
(逢うことは遠い先としても、遠目に青摺り衣の摺り目を見て、心を乱したと仰ったのは誰だか知りたい。)
と語りかけると、人声もしない。
「人もいないな」と思われるけども、あの手紙を渡した一の口で
めづらしと 見つる心は まがはねど
何ならん身の 名乗りをばせじ
(あなたを深く美しい思う心は変わりありませんが、つまらぬ身ですから、名は申し上げません。)
と答えた様子も並々ではない趣向があるので
名乗らずは 誰と知りてか 朝倉や
この世のままも 契り交はさむ
(名乗らなければ、誰かと分からないので、この世で契りを交わせないではありませんか。)
「これは難(カタ)きの摺り衣」ととりとめもなく冗談をいいながら、気配が分かるほど近づき、安心感もあり、親愛の情を感じ、「たいそう心にしみて好ましい」と思いますが、のんびりと立たれていて、どうしたらいいかと吾ながら悩みましたが、男のように押し入ることもはばかられたのでございます。
女も女御の妹君のような人で尋常の身分の人とは思われず、冷たくない程度に話して、人が来る音がしたので、忍んで別れたのでございました。
二十三 ふたたび二人の男
かように中納言を一目でも見たことのある人は、心待ちにして待っている妻がいることや、人からの話を十分聞かず、色々と言葉をかけて来る人が多いのですが、人が身分相応で、風流な人には冷たくないほどに折りにふれて言葉を交わし、そうでない雑多な人の場合は知らぬ顔で聞き流し、たいそうよそよそしく身を修めているのを「玉の傷」と不満に思う人々もいたのでございます。
それに比べて、宰相中将は過ごさない程度に誰でも尋ね寄り、言葉をかけ、伺い歩くことを「美点だ」と思っている人が多かったのでございました。